定山渓鉄道2300形電車

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定山渓鉄道2300形電車(じょうざんけいてつどう2300がたでんしゃ)は、かつて定山渓鉄道に在籍した鉄道車両の1形式。定山渓鉄道最後の新形式であったが、廃止後に引き取り手は現れず廃車となった。

登場の経緯[編集]

1960年代に入ると、定山渓鉄道では定山渓向けの観光輸送が激減した一方で沿線のベッドタウンでの人口増加により通勤輸送も求められていた。また、従来車の老朽化も進んでいたため、これらの機器を流用した通勤車である本形式が2両製造された。

構造[編集]

車体は18m級、片開き2ドアの高張力鋼製車体を備え、車内もロングシートとなっている。運転台はタブレット交換の名残で右側設置とされた。床材は木材とされていた。

なお、極端なコストカットのため冷房は設けられず、窓も固定式とされ、さらには日光を遮るカーテンも省略された。換気装置はファンデリア4基のみで、万が一気分が悪くなった際にエチケット袋も用意されていた。

主要機器は旧品流用の吊り掛け式で、2301ではモ201から、2302はモ301から流用しているので出力は異なる。なお、制御方式はHL式に統一されていた。

このような装備から乗り心地も極めて悪く、特に夏場は乗っているだけで二日酔いを誘発させリバースする客もちらほら現れ、ゲロ電という有り難くないあだ名がつけられた。

運用[編集]

1964年10月29日に2両とも竣工し、他車と共通運用が組まれたが、1969年10月31日に定山渓鉄道線が札幌市に用地買収されて廃止となると、このような床が木材張り[注釈 1]かつ右側運転台の低性能サウナ電車を引き取る者は誰も現れず、製造からわずか5年で廃車解体となり形式消滅した。

脚注[編集]

  1. 木材張りにしていると地下線走行可能なA-A基準を下回っていることが多い。

関連項目[編集]