天草国人一揆(あまくさこくじんいっき)は、1587年に佐々成政の領地内で勃発した一揆である。肥後国人一揆とも呼ばれる。
豊臣秀吉が九州を平定後、越中から移封され、肥後領主となった武将・佐々成政の領地内で1587年(天正5年)に勃発した。有力武将は上益城を社領とする阿蘇大宮司家、菊池・山鹿・鹿本を支配した隈部親永、山本郡(現在の植木町と鹿本町)の内空閑鎮房、人吉・球磨の相良長毎等。最終的に加藤清正や小西行景により鎮圧された。 一方、成政はこれらにより領主失格の烙印を押され、大名の地位を失った。