大谷恵教

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大谷 恵教(大谷 惠教[1]、おおたに しげのり、1925年 - 2016年3月5日)は、政治学者。早稲田大学名誉教授。専攻は政治学・政治思想史[2]

経歴・人物[編集]

福島県生まれ[3]シベリア抑留を経験[2]。1953年早稲田大学大学院に入学し政治思想を専攻。指導教授は矢部貞治[4]。1955年早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。拓殖大学講師、助教授を経て、1964年教授[3]。1966年早稲田大学社会科学部の創設に参加[1]、同教授[3]。1996年定年退職[5]、早稲田大学名誉教授[3]

民主社会主義研究会議(民社研)理事[6][7]、事務局長(1970年4月~1971年5月)[8]政策研究フォーラム理事[9]、顧問[10]核兵器禁止平和建設国民会議(核禁会議)副議長、議長代行(1997年5月~1998年2月)[11]、第3代議長(1998年2月~2008年2月)も務めた[12]

2016年3月5日、肺がんで死去、90歳[2]

矢部貞治が紹介したリップマンの公共哲学の影響を受け、『公共の哲学と民主政治』(前野書店、1974年、増補版1979年)などを執筆した。このグループの仕事が日本における公共哲学の紹介の出発点にあたる[13]

藤井厳喜は早大生時代に専門課程のゼミで大谷に師事した[14]

著書[編集]

  • 『政治理論の基礎としての人間性論』(前野書店、1968年)
  • 『国家と民主主義』(前野書店、1973年)
  • 『公共の哲学と民主政治』(前野書店、1974年、増補版1979年)
  • 『近代政治思想史』(前野書店、1989年)
  • 『句集 凍雪』(牧羊社、1992年)

出典[編集]

  1. a b 大谷惠教「社会科学部今昔物語 社会科学部と私」『社会科学部報』第31号、1995年 早稲田大学歴史館
  2. a b c 大谷恵教さん死去 朝日新聞デジタル、2016年3月6日
  3. a b c d 大谷恵教「21世紀の核兵器廃絶の道」『改革者』第39巻第8号(通巻457号)、1998年8月
  4. 大谷恵教「あのときあのころ」『かくしん』第184号、1985年12月
  5. イギリス・デモクラシーの擁護者A・D・リンゼイ:その人と思想 聖学院大学出版会
  6. キリスト新聞社編『基督教年鑑 1969年版』キリスト新聞社、1968年、563頁
  7. 『改革者』第35巻第1号(通巻405号)、1994年4月
  8. 政策研究フォーラム編「創立40年の歩み――民社研から政研フォーラムへ」『改革者』第41巻第1号(通巻474号)、2000年1月
  9. 『改革者』第35巻第2・3号(通巻406・407号)、1994年6月
  10. 『改革者』第38巻第7号(通巻444号)、1997年7月
  11. 「機関決定事項・内容」『月刊ゼンセン』第47号(通巻512号)、1997年10月
  12. 年表PDF 核兵器廃絶・平和建設国民会議
  13. 小林正弥「公共哲学の概念――原型、展開、そして未来PDF」『公共哲学』第2巻第4号、2006年3月
  14. 最強兵器としての地政学 紀伊國屋書店