大曾根盛経

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大曾根 盛経(おおそね もりつね)は、日本武士御家人

概要[編集]

  • 大曾根時長の子の長男として生まれる。現在の横浜市港北区大曽根を拠点として父・時長と共に主君・安達盛長に仕えた。17歳頃に百姓一揆の鎮圧で初陣したと書いてある資料がある。
  • 霜月騒動にて大曾根氏の副将として参加。主君・安達氏が敗れた為、大曾根氏は大曽根から逃亡。その際に盛経は敵兵の捕虜になり、平頼綱の元に捕まるが、「殺すなら殺せ。名は大曾根発朗盛経と申す。討てば手柄になる。頼綱様には仕えぬ。」と頼綱に言い放ち、頼綱は殺せと命じたらしいが、敵兵は若い盛経を殺すのは胸が痛み、大胆な発言に感動したため、敵兵らは主君を無視して、盛経を解放した。父が安達氏の側近役であったため、盛経が時長を守りながら奥州のもとへ逃げ、大曽根が失脚すると、盛経も奥州でひっそりと暮らした。しかし幕政への復帰を果たすために、源頼朝に幕政への参加を主張。復帰を認められると、名前を金子盛経にして現在の上総国辺りを拠点にしていたとされているが、拠点が元の大曽根郡に戻されると、大曾根姓に戻して、大曽根城に住み始めたとされている。
  • 源頼実が将軍となると、源の血縁者らは次々と抹殺され、幕府が崩壊すると、幕府内でも権威があった大曾根は命を狙われることになる。大曾根当主であった盛経らは妻や子らと共に再び奥州の元を目指したが、僅かな兵で山中に居たため、落武者と勘違いされ竹槍で射られて死亡したとされる。しかし子らは妻と共に奥州を渡ったため、直接的な血の繋がりが消えることはなかった。そのため、長男の大曾根長頼が家督を継いだ。

系譜[編集]

参考文献[編集]