大内宿

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湯殿山から見下ろした大内宿

大内宿(おおうちじゅく)は、かつて下野街道会津西街道南山通り)沿いに存在した宿場の一つである[1][2]福島県南会津郡下郷町に位置する[2]。茅葺き屋根の町並みが残っていることで知られ、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている[2]

歴史[編集]

大内宿が宿場として整備されたのは江戸時代初期、17世紀中頃と推定されている。下野街道は会津藩新発田藩村上藩などが江戸まで参勤交代する際の最短ルートであったため、行列が通るたびに宿場中の宿や茶屋は大変な賑わいになったという。とはいえ、行列が通る頻度は余り高くなく、多くの住民が農業で生計を立てる「半農半宿」の集落であった。

宿場時代の名残として、大内宿の建物の多くは平屋建てで、玄関は街道の正面ではなく路地に設けられている。

明治時代に入ると、現在の国道121号のルートと重なる三方道路が整備され、下野街道と大内宿は交通のメインルートから外れた。宿場は衰退し、大内は農業専業の集落に逆戻りしてしまった。しかし、この出来事が大内を過度な開発から守り、茅葺き屋根の町並みを守ることにつながった。

昭和中期、大内宿のすぐ近くを流れる小野川大内ダムが建設されることになった。この際、近隣の大内の住民の中には、直接建設作業に従事する、国から補償金を受け取るなどして金銭的な余裕が生まれ、家の茅葺き屋根をトタン屋根に張り替える者が出てきた。

ところが、茅葺き屋根の町並みがテレビや新聞で紹介されると、全国から大内宿が観光地として注目されるようになる。この流れを受けて、大内の住民らは自発的に景観の維持に向けて動くようになった。

以後、大内宿は会津地方有数の観光地として有名になり、今に至る。NHKの大河ドラマ八重の桜などの影響で観光客は増加傾向にあり、毎年80万人以上が訪れている。

名物[編集]

大内宿の名物として最も有名なものは、高遠そば(ねぎそば)であろう。辛みのあるねぎで、そばをたぐるようにして食べる。

そばの産地と知られる信濃国高遠藩出身の保科正之が会津藩に転封された際、会津にそばを食する習慣が持ち込まれた。これが、会津に伝わる祝いの席でねぎを食す文化と合体し、現在の高遠そばにつながったという。

高遠そばの他、独特の食感の揚げまんじゅうやとち餅などが、「大内宿名物」として販売されている。

隣の宿[編集]

倉谷宿(下郷町) - 大内宿 - 関山宿(会津美里町)

アクセス[編集]

会津鉄道会津線湯野上温泉駅から乗り合いバス猿遊号で20分。乗客の数に対してバスがあまり大きくないので、確実に乗れるよう、前日までの予約を推奨する。

脚注[編集]

  1. 下野街道”. 日本遺産ポータルサイト. 文化庁. 2023年6月29日確認。
  2. a b c 下郷町大内宿”. 日本遺産ポータルサイト. 文化庁. 2023年6月29日確認。

外部リンク[編集]