塩川三十二
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塩川 三十二(1943年[1] - )は、日本の新左翼活動家。革命的共産主義者同盟再建協議会代表。
大阪府立北野高校2年のとき60年安保闘争に参加。1962年、京都大学医学部に進学、米ソ核実験反対運動に参加。1963年、革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)に加入。2016年までに10数回の逮捕を経験した。非公然活動歴は15年[1]。2006年3月に関西地方委員会指導部の財政的な不正行為が発覚したことが契機となり、塩川ら関西地方委員会は党中央を批判[1]。2007年11月に党中央は政治局名義で塩川らを弾劾し、関西地方委員会指導部の機能を停止させ、その後の第24回拡大全国委員会総会で塩川と椿邦彦を除名した。これに反発した関西地方委員会は同委員会党員総会を無断で開催して党中央から分離し[2]、2008年に「革命的共産主義者同盟全国委員会の再建をめざす全国協議会」(のち革命的共産主義者同盟再建協議会)を結成した[3]。中核派党中央は革共同再建協議会を「塩川一派」と呼び、「転向スパイ集団に転落した」と批判している[4]。