園田事件

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園田事件(そのだじけん)は、日本園田競馬場において、競走の成立に関する審判が原因となって起こった暴動である。園田焼き討ち事件園田騒擾事件スマノダイドウ事件などともいわれる。

概要[編集]

1974年1月30日、重賞・フクパーク記念の開催を1レース前に控えた園田競馬場第8競走で事件が起こった。この日の園田競馬場は25000人の観衆を数える大盛況だった一方で、1974年に入ってから発馬機のゲートが不調続きであり、とにかくカンパイが多発していた。

8レースは9頭立ての古馬オープン特別戦であり、中でもアングロアラブの強豪馬であるタイムラインスマノダイドウの2頭が人気・斤量ともに背負っていた。ホースニュース・馬は「タイムに"春"到来」と斤量がスマノダイドウより2kg軽いタイムライン優勢と分析した。

この競走では、まず、スタート時のゲートが開くタイミングが4頭だけ遅れ、5枠から外の5頭だけが真正なスタートを切った。この発走はすぐにカンパイと判断され、ゲートの調整を行い、5分後に2度目のスタートが切られた。すると、今度はタイムラインとスマノダイドウの2頭だけゲートが開くタイミングが遅れ、両馬は20~30mほどほかの馬から後方に置かれてしまった。しかし、一度カンパイを行い、発走時刻が大幅に遅れたこともあり、競走はそのまま続行された。

圧倒的人気の2頭は後方からレースを進め、400m進んだところで先行グループに取り付く。だが、無理な脚を使ったことが祟り、タイムラインは3コーナーでもういっぱいになった。スマノダイドウも直線で伸びを欠き、スマノダイドウは3位、タイムラインは4位で入線。直ちに着順掲示板には「審議」のランプが点ったが、観客たちは「大穴や」「八百長や」などと騒ぎ立てながらメインレースのパドックへと向かってしまった。

パトロールビデオを分析した主催者は競走不成立を決定した。しかし、多くのファンはハズレ馬券を捨ててしまい、今更馬券の返還をアナウンスされたところで手遅れであった。結局、これが堪えていた不公平なレースへの不満を爆発させる要因となり、暴徒化が始まった。

まず手始めに1階のゴミ箱が放火され、消火に向かった警官との間で揉み合いになる。払い戻し所の窓ガラスは割られ、金は強奪され、逃げ惑う女子職員に襲いかかるなど、『山谷釜ヶ崎顔負けの騒動』[1]に発展した。払い戻し所2棟の屋根が抜け落ちる被害を筆頭に、競馬場施設の占拠および施設への放火、売上金の強盗などを内容とする暴動は18時を過ぎてようやく鎮静していったが、この影響でフクパーク記念を含む第9競走以降は続行不可能となり、不明金額7600万円、備品などの損害金額は3600万円に上った。

また、本来的中馬券であった馬券を所持する観客からも同様に不満を訴える声が上がった。とりわけ馬連の3-4は到達順位どおりに確定すれば21160円の高配当だったこともあり、中には22時以降も配当を支払うよう要求した者があったが、受け入れられなかった。

事件を受けて、兵庫県競馬組合は競馬開催を3開催18日間自粛し、また、競馬開催そのものの廃止が検討される事態となった。1960~70年代の2度の八百長騒動時、周辺住民との間で「今後同様の不祥事が発覚した場合、競馬場の廃止を検討する」と覚書を交わし、ようやく再開に漕ぎ着けた経緯があったが、実際にレースの公正化のために行われた施策は警備員の増備や役員の更迭、騎手の締め付けなど小手先に過ぎていなかったことが白日のもとに晒される結果となった。

全国の地方競馬場では園田事件を受けて、場内アナウンスにて審判委員が真正な発走が行われていないと認められない限り、スタートが遅れてもレースは成立するということを周知している。

エピソード[編集]

この事件は偶発的に発生したのではなく、意図的に仕組まれた陰謀という説もある。

1974年1月30日は水曜日にあたり、当時、水曜日はギャンブルホリデーにつき、競輪競艇の開催は行われなかった。したがって、通常ならば競輪もしくは競艇をやる客も多数押しかけ、当日は2万5000人ほどの観客が集まったが、園田競馬場のキャパシティを考えると超満員状態だった。

しかも、このレースを利用して一山当てようと考えていた人間の集団が、くだんの2頭が何らかの形で「吹っ飛べば」(つまり、連勝複式馬券には絡まないということ)、かならず騒動の種になるはずであるから、その騒動を意図的に扇動したのではないかということが考えられている。

さらにこの事件では、当時園田競馬場の地下にあった売上金置き場が狙われているが、同競馬場の事情に詳しい者でないとそこを狙うのは不可能である。したがって、同競馬場の事情に詳しい首謀者が別の狙いをもって仕掛けた扇動事件であったという見方も強く残っている。

脚注[編集]

  1. 週刊『馬』若しくは月刊公営競馬(刊行日不明)、「けいばNOWNOW」pp14-16

参考文献[編集]

  • 競馬〈隠れ名馬〉読本-ダート、地方、障害、アラブ…黙殺され続けた名馬500頭!(別冊宝島―競馬読本シリーズ(355)) - 1998年 宝島社

関連項目[編集]