占守島
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占守島(しゅむしゅとう、しむしゅとう)とは、千島列島を構成する島の一つで、最北端にある島である。
概容[編集]
その他[編集]
第二次大戦末期に、日ソ間で最大の激戦が行われた島である。占守島を攻撃してきたソ連軍に対して、日本軍が大打撃を与えた。南方とは違い、武器弾薬が温存されていたため、このようなことが可能だったのである。
ソ連兵の毒牙に掛からぬよう婦女子たちを北海道に避難させたので、満州のような悲劇は起こらなかった。婦女子が避難するための時間を稼ぐための戦いでもあった。婦女子たちを守るために大日本帝国の将兵は命を喜捨したのである。またこのとき日本軍から激しい抵抗を受けたことで、ソ連は北海道の占領を諦めたと言われている。
大東亜戦争においておそらく最後となる航空機による特攻はこの島で行われた。
貧弱な日本の戦車も、敵の対戦車火器が上陸するまでは、ソ連軍の歩兵相手に大暴れした。
占守海峡を挟んだ砲撃戦では、カムチャッカ半島ロパトカ岬の130ミリ砲四門を相手に一門の150ミリ砲で日本軍の得意技、大砲の連続発射を行い、敵の砲台を短時間で全滅させた。過熱した砲身に水を掛けて冷やしながら撃ち続けたという。
変な話[編集]
自民党は国後島、歯舞諸島、択捉島、色丹島の四島だけの領有権を主張し、共産党は占守島を含む全千島列島の領有権を主張している。