千乃裕子

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千乃 裕子(ちの ゆうこ、1934年1月26日[1] - 2006年10月25日[2])は、日本の宗教家[1]。本名増山英美[2][† 1]。白装束集団「パナウェーブ研究所」の上部組織「千乃正法会」会長[2]

経歴[編集]

京都市生まれ。大阪府池田市出身。ミッションスクールの中学校、高校を経て、1954年3月に梅花短期大学英文学科を卒業。就職を経て、30歳頃に自宅で英語塾を開いたが、後に辞めている[3]キリスト教を経て、GLA教祖の高橋信次の教えを知った[4][5]。76年に高橋が亡くなると後継者を自称して信者を集め、1977年に「千乃正法」を創設した[5][6]。1970年代末、『天国の扉』など「天国シリーズ」と呼ばれる著書3冊をたま出版から刊行。美貌と霊能力により、1970年代のカルト界のアイドル的存在であったとされる[7][† 2]

雑誌『アエラ』の説明によれば、千乃はある新興宗教団体の中で人気が出て教祖と衝突し、会員を引き抜くような形で「千乃正法」を創設したとされる[7]。千乃はGLAの信者で、高橋信次の死後、後継者争いに敗れ、脱会して千乃正法を創設したという説もある[8][9][10]。千乃自身もそのように主張していたが[6]、GLAは、2003年5月9日付で千乃が会員であった事実は無いと声明を出している[11][5]。宗教学者の島田裕巳は、「GLA側が言うように、千乃は信者でもなければ、後継者争いにかかわったこともなかったと考えていいだろう。」と述べている[9]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. 『著作権台帳 第26版』では本名は「生橋英美」と記されている。
  2. ここでの「カルト」は、「反社会的な集団」ではなく「熱狂的な集団」という意味。

出典[編集]

  1. a b 日外アソシエーツ編集部編『新訂増補 人物レファレンス事典 昭和(戦後)・平成編 せ~わ』日外アソシエーツ、2003年、1594頁
  2. a b c 「パナウェーブ・千乃会長死亡」『朝日新聞』2006年10月26日付朝刊
  3. 「白装束集団、この不可解 総力特集」『週刊朝日』108巻22号(4561号)、2003年5月23日発行
  4. 井上順孝ほか編『新宗教事典』弘文堂、1990年、90頁
  5. a b c 藤田庄市『宗教事件の内側――精神を呪縛される人びと』岩波書店、2008年、教団・団体解説、21頁
  6. a b 島田裕巳『平成宗教20年史』幻冬舎新書、2008年、172-173頁
  7. a b 「白装束集団の原点、千乃裕子氏はカルトアイドル」『アエラ』2003年5月19日発行
  8. 白装束集団“教祖”、千乃裕子氏の正体、ZAKZAK(2003年5月6日)、2003年7月5日時点のアーカイブ、2017年1月8日閲覧
  9. a b 島田裕巳『日本の10大新宗教』幻冬舎新書、2007年、191-192頁
  10. 謎の白装束教団:パナウェーブ研究所、真理のみことば伝道協会(2012年7月16日)、2017年1月8日閲覧
  11. GLAは、「白装束の集団」と言われる団体(パナウェーブ研究所)とは関係ありません。、GLA(2003年5月9日)、2003年7月1日時点のアーカイブ、2017年1月8日閲覧

関連文献[編集]

  • 安斎育郎『だまし博士のだまされない知恵』新日本出版社、2007年
  • 石井研士『テレビと宗教――オウム以後を問い直す』中公新書ラクレ、2008年
  • 石井研士編著『バラエティ化する宗教』青弓社、2010年
  • 菅田正昭『古神道は甦る』たま出版、1985年/橘出版、1994年
  • パナウェーブとタマちゃんを考える会『パナウェーブ――白装束の謎と論理』アートブック本の森、2003
  • 原田実『と学会レポート 原田実の日本霊能史講座』楽工社、2006年
  • 森達也『世界と僕たちの、未来のために――森達也対談集』作品社、2006年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]