北条貞村

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北条 貞村(ほうじょう さだむら、? - 嘉元3年4月23日1305年5月17日))は、鎌倉時代後期の北条家の一族[1]。家系は政村流北条家。祖父は第7代執権北条政村。父は第9代連署北条時村[1]。母は不詳[1]。兄弟に為時義村定宗公村貞煕時秀時助

生涯[編集]

嘉元3年(1305年)4月23日に侍所頭人であった北条宗方が起こした嘉元の乱で父と共に殺された[1][2]

脚注[編集]

  1. a b c d 北条氏研究会『北条氏系譜人名辞典』新人物往来社 2001年、182頁
  2. 史料では「同父被誅」とある。

参考文献[編集]

  • 北条氏研究会『北条氏系譜人名辞典』新人物往来社 2001年