北杜夫

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北杜夫(きた もりお、1927年5月1日-2011年10月24日)は、作家、元医師。

人物[編集]

本名・斎藤宗吉。斎藤茂吉の次男として東京市赤坂区(現・港区)に生まれる。兄は精神科医の斎藤茂太。旧制松本高等学校辻邦生と親しく、トーマス・マンに熱中した。東北大学医学部卒、医学博士。精神科医として船医などを勤めるかたわら創作を行う。1950年より『文藝首都』同人。1956年から芥川賞候補となり、四度目の候補となった1960年「夜と霧の隅で」で受賞、また同じ1960年より発表された『どくとるマンボウ航海記』をはじめとするシリーズで人気作家になる。筆名の「杜夫」は「トニオ・クレーゲル」を「杜二夫」として作られた。愛称はどくとるマンボウ。

1964年『ブッデンブローク家の人びと』を下敷きに斎藤家のことを描いた『楡家の人びと』で毎日出版文化賞受賞。躁鬱病を発症し、躁状態の時には自宅を「マブゼ共和国」と名付けたりした。1984年『輝ける碧き空の下で』で日本文学大賞を受賞。96年、日本藝術院会員となる。98年、茂吉評伝四部作『青年茂吉』『壮年茂吉』『茂吉彷徨』『茂吉晩年』で大佛次郎賞受賞。

若い頃奥野健男宅のパーティで2歳年上の三島由紀夫に「てふど」は間違いだと仮名遣いの間違いを指摘して三島を怒らせ、のち『白きたおやかな峰』を書いた時、「白き」という文語と「たおやかな」という口語が混じっていると三島に指摘されたという(文語なら「たおやかなる」)。埴谷雄高と親しかった。

娘はエッセイストの斎藤由香