努力教
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努力教とは、努力すればたとえ才能に欠けていても実力差を覆すことができると考える思想である。
概要[編集]
不思議なことにスポーツや絵画、音楽の才能に関しては並大抵の努力ではひっくり返すことができない事は皆さまもご理解いただけるだろう。だが、一部のスポーツ並びに学問に関しては、個人の努力がものを言うと考えがちである。努力教はこのように努力至上主義であり、努力する事で実力の差を埋めることができると考えることが多い。
結果が出ない場合[編集]
結果が出ないとどうなるか。二つの解答がある。一つは、努力の方向性が違うというものである。もう一つは努力が足りないというものである。特に後者は結果が出るまでの努力を求められて大変危険な状態でもある。
『無理』というのはですね、嘘吐きの言葉なんです。途中で止めてしまうから無理になるんですよ
- ワタミ社長
近年の傾向[編集]
甲子園での慶応大学付属高校の活躍を見るまでもなく、勉強もできる優秀な生徒はスポーツでも秀でており、人間としての総合的な能力が高いことが証明されつつある。
またXなどで時折語られる「最近は進学校の美男美女が増えている」「ガリ勉の成績優秀タイプはいなくなり、むしろガリ勉タイプは真面目だけど成果が出ないタイプが多い」という風に優れた遺伝子を持つものは容姿も優れているという言説が散見されるようになっている。[1]
つまり、努力で能力の差を覆すことがだんだん不可能だという考えが浸透しつつあるのだ。
2016年の橘玲のベストセラー『言ってはいけない』や、2021年のマイケル・サンデルのベストセラー『実力も運のうち』は、こうした非情な現実にスポットを当て、単純な「努力教」がいかに間違っているか切り捨てるものであった。
それでも現実社会では努力教が幅を利かせているのである。
脚注[編集]
- ↑ 戦後、東大卒などのエリートが社会的成功を収めて美人の奥さんをゲットし、その間にできた子供がまたエリートとなって美人の奥さんをゲットとする....という流れが2~3世代繰り返された結果、今では「東大に入るような子供はルックスも良い」という状況になっている....と、俗に言われている。