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漢字 (かんじ) は、主に東アジアで用いられている文字の一種。現在の中華人民共和国に当たる地域で発明された。
概要[編集]
地中海沿岸のオリエント地域で誕生したフェニキア文字と同じように、絵を簡略化、図形化したものを文字として用いている。一般的に使用されるラテン文字は26文字、仮名は50文字であるのに対して漢字は10万文字を超えており、世界で最も大きい文字体系として知られている。
東アジアの広い範囲で用いられてきた歴史があるが、、その理由の一つとして、かつての中華文明には、自らの国家が世界の中心であるという中華思想があったためである。この中華思想の観点から、世界の中心と自負し、実際に当時の列強とも言うべき中華文明で用いられていた文字が周辺国家にも普及したことは必然であろう。
歴史[編集]
伝承や説話としての漢字の起源は、紀元前4000年代に蒼頡という人物が発明したとされる。蒼頡は文官であり、他の古代文明でも見られるようなビーズを糸につける方法を用いて記録を行っていた。しかし、あるときに「絵を直線的にしたものを書けば、より記録作業が効率化できるのではないか」と考えつき、初の漢字である象形文字を、その後に指事文字と会意文字を作った。このことから蒼頡は聖人として崇められている。
しかし実際にはそのような「発明者」は存在せず、中華文明たる黄河文明が発展していくにつれて代々と受け継がれ進化していったのだと考えられる。そのため、蒼頡は伝説上の人物であろう。
はじめの漢字の用途は、占い結果の記録である。古代では占いや祈祷といったスピリチュアルなものは非常に重要視されていたため、その結果を記録することにも重大な意義があった。この時の中国では亀卜という亀の甲羅を加熱してその割れ目を鑑みる占いが盛んであり、その甲羅に直接漢字で占い結果が書かれたのである。この頃の漢字は今の字体とは程遠く、甲骨文字 (甲骨文) と言われていた。
篆書の黎明[編集]
中国が青銅器時代を迎えたころ、西周では金属製の壺などに文を記す試みが興った。そこで当時の人物は甲骨文字を丸くし、記しやすくした「金文」を作り出した。その後、春秋戦国時代に西周の太史であった籀が編纂した書物で金文を発展させた「籀文」を用い、これが改良を加えられて「大篆」となった。
更に時代が下ると、西周を滅ぼした秦の李斯により「小篆」が確立し、全時代のそれにくらべてある程度洗練された文字となった。「篆書」とは小篆までのすべての書体をさすが、狭義では大篆と小篆、もしくは小篆のみをさす。
隷書の広がり[編集]
前項で説明した篆書は下級役人にとって難解で、筆記を煩わせる原因となったため、彼らは非公式に、篆書を崩した「隷書」を用い始めた。これにより漢字が直線的・簡略的となり、漢では公式の書体にまで上り詰めた。
そのため隷書は篆書に変わって標準書体として広まりを見せ、文官や知識人の間で成熟した。それに伴い装飾が付与され、デザイン性も向上した。この隷書を「八分」ともいう。