刈谷銀座アーケード街

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刈谷銀座アーケード街(かりやぎんざアーケードがい)は、かつて愛知県刈谷市銀座と新栄町にあったアーケード街。銀座通り中町商店街(ぎんざどおりなかまちしょうてんがい、銀座中町商店街)にあった。かつては刈谷市における最重要商店街だったが、現在はアーケードが撤去されており、また完全に商店街としての体をなしていない。

特徴[編集]

銀座通り中町商店街は36店舗からなる。1957年(昭和32年)頃にはアーケードの建設計画が持ち上がり、豊橋市の常盤通りのアーケードなどを視察している。アーケードは1960年(昭和35年)1月に起工し、同年6月に竣工した。アーケードの長さは174メートル、幅は約4メートル、高さは約6メートルである。総工費は約1000万円。刈谷市初のアーケード商店街となり、刈谷銀座アーケード街とも呼ばれるようになった。

1960年代が絶頂期であり、他の商店街を圧倒するほどの人出があった。「(1967年頃までは)一日中、自転車に乗っては通ることができなかった」「よそから来た人がお祭りと間違えた」という。大売出しの客寄せとして花魁道中なども行われている。

西端は三菱UFJ銀行刈谷支店のある「銀座4丁目」交差点、中央部は「新栄町北」交差点、東端は「刈谷警察北」交差点である。南側には愛知県道48号(広小路通りと通称され、バス通りとも呼ばれた)が並行している。

施設[編集]

表屋ビル[編集]

今日には三菱UFJ銀行があるブロックには、1964年(昭和39年)7月15日に3階建ての表屋ビルが開業。碧海地域初の大規模小売店舗であり、2/3を占める核テナントは西松屋、その他には文房具店の表屋などが入った。1971年(昭和46年)にはユニー刈谷銀座店(表屋ユニー)となっている。1988年(昭和63年)8月に閉店し、2010年代には駐車場として使われていた。

銀座センター[編集]

万燈祭りを開催する松秀寺(秋葉神社)から道路を挟んで東隣は、1954年(昭和29年)に東陽町1丁目1番地に移転するまでは刈谷町役場/刈谷市役所が置かれていた。その後、刈谷市を事業主体として銀座センターが建設された。1958年(昭和33年)10月末には鉄筋コンクリート造4階建て(一部5階建て)の建設工事を開始し、1960年6月25日に1階の商店部分が開業した。銀座センターは「刈谷初の高層ビル」とされる。

総工費は3310万円。地上から屋上までの高さは14メートルであり、刈谷市役所庁舎より20センチ高く刈谷市最高層の建築物だった[1]。銀座センターの1階は専門店街であり、開業時には16店舗が入った。喫茶・軽食店、化粧品・衣料品店、靴店、時計店、菓子店、野菜・缶物・瓶詰店、生花店、鶏肉店、肉・揚物店、鮮魚店、青果物店、美容院、床屋が入っている。2階以上はアパートであり、32戸が入った。一般募集は24戸だったが、6.5倍の149の申し込みがあったという。

土日は人でごった返すほどのにぎわいだったが、昭和40年代半ばから大型店の出現やモータリゼーションで客数を減らした。1975年(昭和50年)には13店舗となり、1990年(平成2年)には5店舗となっている。銀座センターは2009年以後2010年以前に取り壊されている。跡地は駐車場として使用されていたが、2017年(平成29年)以降にはエクセルグランデ刈谷銀座タワーの建設が行われており、2020年(平成32年)3月に竣工する予定である。

脚注[編集]

  1. 中日新聞、1959年4月14日付記事

参考文献[編集]

  • 刈谷市史編さん編集委員会『刈谷市史 第四巻 現代』刈谷市、1990年、pp. 227-230

外部リンク[編集]