八田 與一(はった よいち、明治19年(1886)2月21日 - 昭和17年(1942年)5月8日)は、石川県金沢市出身の水利技術者。
台湾で烏山頭ダムの建設を計画し、完成させた日本人技術者である。 1918年、農業が困難であった台湾の嘉南平野に水を供給するために烏山頭ダムを建設することを計画。1920年に着工。1930に当時としては世界最大の烏山頭ダムを完成させた。その結果、嘉南平野は穀倉地帯となった。
現在も烏山頭ダムに八田の銅像が建っている。