僖宗 (唐)
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僖宗(きそう、862年 - 888年[1])は、唐の第21代皇帝(在位:873年 - 888年[1])。姓名は李 儼(り げん)[1]。黄巣の乱が発生した際の唐の皇帝である。
生涯[編集]
第20代皇帝・懿宗の子[1]。873年に父帝が崩御したため即位する[1]。しかし即位時は12歳という幼少であり、国政の実権は宦官に握られてこの時代に宦官の勢力が著しく拡大した[1]。しかも僖宗自身は遊興にふけって国政を顧みず、遂に874年からは王仙芝や黄巣ら窮民により大規模な反乱が起こされた[1](黄巣の乱)。唐軍は反乱鎮圧に無力で、遂に880年には黄巣により首都の長安を落とされて僖宗は現在の四川省に逃亡。しかし黄巣軍も内部分裂や度重なる略奪で人心を失い、唐軍は最終的に各地の節度使の助力を得て鎮圧した。しかしこの反乱で節度使は半ば自立し、唐の支配権は中国全土に及ばなくなり、その衰亡は決定的となった。
888年に崩御。病死であった。享年27。跡を弟の昭宗が継いだ。