倉場富三郎

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倉場 富三郎(くらば とみさぶろう、1871年1月28日 - 1945年8月26日)は、日本実業家学者。英名「トミサブロー・アワジヤ・グラバー(Tomisaburo Awajiya Glover)」。

留学[編集]

父親はトーマス・ブレーク・グラバー。母親は淡路屋ツル(談川ツル)である。なぜなら、ペンシルバニア大に入学した時「トミサブロー・アワジヤ・グラバー(Tomisaburo Awajiya Glover)」の名前で入学しているからである。談川ツルは阪の造船業「淡路屋」に生まれ、士族・山村国太郎と結婚し一女・センを生んだのち離縁し、芸者となってグラバーの内縁の妻となった。淡路屋ツルは1899年に亡くなった。 「加賀マキ」説もあるが、根拠に乏しい。加賀マキは日本人の男性と結婚し、1905年に長崎で亡くなっている。 富三郎の妹のハナは、海外で結婚し子孫がいるとされる。

1884年に岩崎弥太郎が保証人となって、学習院に入学。当初は優秀な成績だったが、退学の前年から成績が下降して1888年3月に退学。アメリカ合衆国に留学して、語学研修の後にペンシルベニア大学で生物学を専攻。1892年に帰国する。

帰国後[編集]

帰国後の1893年にホーム・リンガー商会に入社。1894年10月に倉場利兵衛という人物の絶家を再興する形で、倉場姓の戸籍を作り倉場姓となる。倉場は「グラバー」を日本語にもじったもの。

トロール漁業を導入して成功させるなど、漁業に寄与する。

妻の中野ワカも日英混血で、英国人商人ジェームズ・ウォルターと妻中野エイとの次女であった。

晩年[編集]

スコットランド人と日本人の混血だった富三郎は、スパイ嫌疑をかけられ特高警察の監視の中で厳しい生活を強いられていた。 1945年8月26日の終戦後に長崎の自宅で首吊り自殺した。74歳。

参考文献[編集]