依佐美送信所

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依佐美送信所(よさみそうしんじょ)は、かつて愛知県刈谷市にあった無線送信所

歴史[編集]

依佐美送信所は1929年(昭和4年)に運用を開始した。1941年(昭和16年)12月8日には真珠湾攻撃決行の暗号である「ニイタカヤマノボレ」を送信したとする説があるが、その真偽は定かでない。戦後は米軍に接収されて米軍施設となっていたが、冷戦終結後の1994年(平成6年)に役目を終えて日本に返還され、1996年(平成8年)から1997年(平成9年)にかけてアンテナ鉄塔が解体された。送信所の建物は特徴的な外観から文化財としての価値も指摘されたが、文化財保護意識の薄い刈谷市当局は2006年(平成18年)にさくっと取り壊している。

送信所跡地を含む一帯は刈谷市によってフローラルガーデンよさみとして整備された。カフェなどが入るフローラルプラザは依佐美送信所の外観をモチーフとしている。2007年(平成19年)には送信所跡地に依佐美送信所記念館が建設され、高周波発電機など送信設備の一部が保存されている。フローラルガーデンよさみには往時の1/10の高さ25メートルの鉄塔が据えられている。依佐美送信所記念館の送信設備は、機械遺産、重要科学技術史資料(未来技術遺産)、IEEEマイルストーンなどに認定されている。

「依佐美の鉄塔」[編集]

送信所の建物のほかに、アンテナとして高さ250メートルの鉄塔8基が建っていた。1929年に建設されたアンテナ鉄塔は、1914年(大正3年)に建設された日立鉱山の煙突(155.7メートル)を上回って日本一高い構造物となった。その後29年間は日本一の座を維持したが、1958年(昭和33年)に東京タワー(333メートル)が日本一の座を塗り替えている。

高層ビルや高層マンションなどなかった時代に250メートルもある鉄塔のインパクトは絶大であり、遠方からも確認出来てよい目印になったという。地元では「依佐美の鉄塔」と呼ばれて愛された。依佐美送信所の近くにあった刈谷市立双葉小学校は、運動会の組体操でかならず「鉄塔」(全国的には首倒立と呼ばれることが多い)を組み込んでいる。

外部リンク[編集]