伊藤紫英
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伊藤 紫英(いとう しえい、1907年 - 1989年4月1日)は、映画評論家・映画史研究家。愛知県名古屋市千種区菊坂町(覚王山)に居住し、名古屋市を拠点に活動した。椙山女学園大学名誉教授。
経歴[編集]
1907年に生まれ、名古屋市の大須で活動写真(映画)と出会った。当初は日活やアメリカ製活劇を上映する文明館(大須)や太陽館(大須)で映画を見ていたが、やがてインテリ向けの世界館(大須)や千歳劇場(南桑名町)に通い、批評的な視点を身に付けた。東北帝国大学理学部卒業。『中京キネマ』や『三等席』など名古屋市で刊行される映画雑誌や新聞などへの寄稿を行い、またアマチュア映画人として自ら映画を製作することもあった。他の映画館と地理的に離れており、また財界の名士やインテリ層を客層とした八重垣劇場のことは「孤島」に例えている。1930年に開館した八重垣劇場は1934年に機関紙『シネ・アート』を刊行し、伊藤はここで映画批評の機会を得た。椙山女学園大学の名誉教授であり、日本映像学会の理事なども務めた。
著書[編集]
- 伊藤紫英『名古屋映画史 8mmから70mmまで』伊藤紫英、1981年
- 伊藤紫英『シネマ よるひる』伊藤紫英、1984年
参考文献[編集]
- 小林貞弘『名古屋の映画館の歴史 1908-2015』河合文化教育研究所、2018年