人食い熊

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人食い熊(ひとぐいぐま)とは、の中で人間を捕食する傾向のある個体のことである。

人を食ったことのある熊は間違いなく人食い熊である。人を食う機会がなかったために人を食ったことはないものの、森で人にバッタリ逢えば多分、人を食ってしまうような熊は、人食い熊なのかどうか意見が別れるところである。

熊は銃弾が心臓に命中しても即死せず、短時間ならば暴れることができる。

熊は雑食性で、動物でも植物でも食べる。蜂の巣を襲って蜂蜜を食べることもある。又、体が大きく食べる量も多い。

本州に住むツキノワグマは滅多に人を襲うことはないし、襲った場合でも人肉を食うことは希だが、北海道に生息するヒグマは獰猛で体も大きく、人を襲った場合は、大抵、その肉を食うようで、日本で人食い熊と呼ばれるのは殆どがヒグマである。

人食い熊に関する事件[編集]

三毛別羆事件[編集]

詳細は「三毛別羆事件」を参照

1915年12月、北海道の苫前郡苫前村にて。体長2.7m、体重340kg、「袈裟懸け」と名付けられた大ヒグマが民家を次々に襲い、村人7人を食い殺し、軍隊まで出動した事件。

12月12日、熊撃ちの名人、山本兵吉氏が袈裟懸けを発見。風下から近付いてライフル銃を2発発射。胸と頭に命中させて仕留めた。

銃声を聴いて集まった将兵や村人や近隣の村から応援に来ていた猟師たちは、袈裟懸けが死んでいるのを見てバンザイを叫び続けたという。

の中からは犠牲者の衣類や頭髪が発見された。

山本兵吉氏のボルトアクション方式のライフル銃は、日露戦争の戦利品と言われている。有名なモシンナガンM1891ではなく、旧式のベルダンタイプⅡモデル1870だったという。山本氏が直接ロシア軍から分捕って持ち帰ったものなのか、日本軍がロシア軍から分捕ったものを貰い受けてきたものなのか、日本軍が分捕って民間に払い下げたものを山本氏が買ったのかなどは不明である。

袈裟懸けの写真(風景から推定される季節が事件発生時とは異なっており、人間と比較してヒグマが大きすぎることから、この写真は新聞社による捏造の可能性が高い):http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/f/foxnumber6/20150106/20150106162200.png

山本兵吉氏とベルダンライフルの写真:https://mobile.twitter.com/springmr/status/953611394561146880

石狩沼田幌新事件[編集]

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1923年8月、北海道の雨竜郡沼田町にて。体長2m、体重200kgのヒグマが、町民3人を食い殺した。アイヌの漁師がそのヒグマに憤ってヒグマ退治に一人で山に入ったが行方不明になった事件。この猟師は後に、体の一部分だけが発見されている。

このヒグマは8月24日、鉄砲隊の一斉射撃により仕留められた。

胃からは人骨や人間の指が出てきたという。

札幌丘珠事件[編集]

Wikipedia-logo.pngウィキペディアの生真面目ユーザーたちが札幌丘珠事件の項目をおカタく解説しています。

1878年1月、札幌村で猟師が冬眠中のヒグマ体長1.9mを発見したが撃ち損ね、猟師が反撃され死亡した事件。ヒグマはその後、市街地に逃走、2人を食い殺した。

1月18日、駆除隊によって射殺され、札幌農学校で解剖され、胃からは髪の毛などが出てきたという。

福岡大学ワンダーフォーゲル同好会羆襲撃事件[編集]

1970年7月。日高山脈で登山中の福岡大学の学生5人にヒグマが付き纏い、最初は食料を食い荒らすなどしていたが、最終的に3人が食い殺された事件。食料を奪い返されたことで羆は学生たちを敵と認識したのではないかと言われている。 ワンダーフォーゲル部事件とかワンゲル部事件と呼ばれることもあるが同好会の間違いである。

八幡平クマ牧場ヒグマ襲撃事件[編集]

2012年4月20日、秋田県鹿角市の八幡平クマ牧場で、ヒグマが雪掻きによってできた雪の山に登って塀を乗り越え脱走。女性従業員2人が食い殺された事件。警察と消防が到着したとき、ヒグマは女性従業員の死体を奪い合っていたという。

カムチャッカ半島ヒグマ事件[編集]

2011年8月13日、ロシアのカムチャッカ半島で、ヒグマ一頭と小熊三頭が、男性一人と、その娘一人を襲い、男性はすぐに殺されたが、ヒグマは娘を生きたまま食い始め、娘はヒグマに食われながら携帯電話で母親に電話を掛けたという。

門別町事件[編集]

1964年9月、小学5年の少女が学校に行く途中でヒグマに食い殺されバラバラ死体になって発見された事件。

大成町宮野事件[編集]

1977年9月23日、釣り人がヒグマに食い殺された事件。目撃者によると、犠牲者はヒグマに引き摺られながら「助けてくれ~」と叫んでいたが、どうすることも出来なかったという。

マイソールのナマケグマ事件[編集]

1957年、インドのマイソールでナマケグマが12人を食い殺した事件。そのナマケグマは伝説のハンター、ケネス・アンダーソンによってライフル銃で射殺された。

アラスカ、トイレに熊事件[編集]

2021年、女性がトイレに座ったところ、下に隠れていた熊が女性のお尻を触った事件。

オジョルスク白骨事件[編集]

ロシアのチェリャビンスク州オジョルスクで熊を飼っていたセルゲイさんが飼っていたヒグマに食われて白骨死体で発見された事件。

アラスカ少年、ヒグマ退治[編集]

アラスカ州チチャゴフ島で叔父に襲い掛かったヒグマを11歳の少年が散弾銃で仕止めた。弾はバードショットだったという。通常バードショットではヒグマの皮膚を撃ち抜くことはできないが、散弾が散開しない至近距離であれば、ヒグマに致命傷を与えることも不可能ではないという。

羅臼の犬食い熊[編集]

北海道の羅臼町で2018年頃から飼い犬がヒグマに食い殺される事件が続いている。

奈井江町vs猟友会[編集]

奈井江町ではヒグマが出没すると猟友会に駆除を依頼していた。役所の人間は高い給料を貰っていて、猟友会は命賭けの熊退治に少ない日当。怒った猟友会が熊退治を拒否しており、町内で犠牲者が出るのは時間の問題となっている。

砂川町の狩人の悲劇[編集]

砂川町で民家の近くにヒグマが現れ、ハンターが砂川町の要請でヒグマを駆除したところ、公安から民家の近くで発砲したとか難癖を付けられ、猟銃の所持許可を取り消された問題。ヒグマが市街地に入り込んでも、人を食い殺しても放置しなきゃならないのか?役所のバカさ加減が知れる事件。

北海道猟友会は、これに抗議して熊の駆除を拒否する方針である。

奈井江町も砂川町も人肉食べ放題。羆が出たら我慢して食われて芯でください。冗談のようだが本当だ。

乗鞍岳月の輪熊襲撃事件[編集]

2009年9月19日、乗鞍岳で月の輪熊が登山客を襲い負傷させる事件が発生。バスターミナルの建物に百人ほどが避難した。後から人が入れるようにシャッターを開けておいたところ、そこから熊が侵入。大パニックになった。消火器を噴射したところ、熊は土産物売場に逃げ込み、そこに閉じ込めることに成功。熊は猟友会によって射殺された。

動画[編集]