京橋駅空襲
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京橋駅空襲(きょうばしえきくうしゅう)とは、1945年8月14日に行われた空襲。
概要[編集]
当時大阪最後の爆撃として大阪城内の大阪陸軍造兵廠へ集中攻撃を行っていた。その流れ弾の一トン爆弾が四発、京橋駅に落ちた。うち一発は当時多数の乗客が避難していた片町線のホームに上を通っていた城東線のホームをすり抜けて落ち、その状況は断末魔が飛び交い地獄のようだったという。犠牲者は200人と推定されているが、無縁仏となったみ霊となったものは数え切れず500人・600人と言われている。
当時の惨劇を目撃した大東市の森本栄一郎は1947年8月14日に、自費で慰霊碑を設置した。遺族及び、当時駅での体験者、大阪大空襲の体験を 語る会々員他多数の市民からの基金を得て1983年2月に納経塔が設置された。