中田友也

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中田友也(なかた ともや、1918年11月20日ー )は、日本の医師。

人物[編集]

秋田県大館町生まれ。1938年中央大学商学部入学。1940年亡母の意向で日本大学医科専門部入学、44年繰り上げ卒業。本所病院(都立墨東病院)勤務。45年東京大空襲駒込病院に移る。46年駒込病院労働組合委員長、日本共産党に入る。49年レッドパージで駒込病院を逐われ、尼崎のナニワ診療所に勤務、50年レッドパージでナニワ診療所を逐われる。東京赤羽の東京自由病院に勤務するが、米軍の弾圧で同病院は閉鎖される。川崎の個人病院宮川病院に勤務。52年、手術の機材を無断拝借したため解雇。代々木診療所副院長となる。血のメーデーに救護班として参加、高橋正夫の検死に立ち会う。53年慈恵会医科大学研究生となる。1957年東京慈恵会医科大学・医学博士。代々木病院副院長。1960年安保騒動で死亡した樺美智子の解剖を行い扼殺の判定を下した。1965年の参議院選挙で共産党の野坂参三の運動員として四軒の戸別訪問をしたとして起訴されたが、74年に無罪判決が出た。森類は「裁量権」を書いて検察を批判した。2005年、87歳で引退を表明する。自民党議員だった中田儀直は義兄。

著書[編集]

  • 『鬼手佛心 すべては患者のために』本の泉社, 2007.2]