中原文也
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中原文也(なかはらふみや、1934年10月18日ー1936年11月10日)は日本の詩人中原中也の長男。母は上野孝子。名前は中也の也を取って「文也」と名付けられた。1935年8月、父中也と母孝子とともに上京。1936年春、中也と動物園に行く。7月、文也と父中也と母孝子と三人で「東洋ハーゲンベック大サーカス館」のサーカスを上野へ見に行く。11月7日頃、様子が急変。翌日、病院に行くが状態は回復せず、10日、小児結核で死去。戒名は文空童子。長男を亡くした中也のショックは大きく、日記に「文也の一生」を書いたり、「在りし日の歌」の冒頭部分に(亡き児文也の霊に捧ぐ)と書いたり、更には文也の死をきっかけに神経衰弱が起き、それほど中也は文也を愛していたのがわかるだろう。中也は文也が詩人になることを期待していた。文也が亡くなった約1ヶ月後に弟の愛雅(よしまさ)が生まれた。