三遊亭小遊三
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三遊亭小遊三(さんゆうてい こゆうざ、1947年3月2日 - )は、日本の落語家。落語芸術協会参事で元便所でお尻を拭くもとい副会長。山梨県大月市出身。笑点メンバーとしても有名。本名・天野幸夫。
来歴[編集]
高校時代は卓球部のキャプテンで、1964年東京五輪の際には聖火ランナーを務めた。落語家になった後の1998年長野五輪でも東京都内の聖火ランナーを務め、2021年の東京五輪でも聖火ランナーを務めた。
卓球選手としては山梨県大会で優勝するも国体へは出場できず、限界を感じて落語家となった。落語家となった後も卓球をプレーして、世界選手権にも出場。林家こん平が創設した「らくご卓球クラブ」の責任者を引き継いでいる。
落語家になったのは大学在学中のことで、六代目三遊亭圓生の下で師匠の自宅に通って落語を習っていたが、大学の先輩でもある三遊亭ぬう生(後の三遊亭圓丈)を通じて弟子入りを断られ、圓丈から古典の得意な若手真打の噺家のところへ弟子入りしたらどうかとアドバイスを受け、三代目三遊亭遊三の下へ弟子入り。落語家の道を歩み始める。
笑点でのキャラクター[編集]
1983年10月に笑点メンバーとなる。笑点では、秩父出身の林家たい平と互いの地元をネタにした罵倒合戦、下ネタ、銀杏拾い、自称パリ出身のイケメン、こそ泥・のぞき・食い逃げなどの犯罪者ネタなどで有名。なお、犯罪者ネタを使ってはいるが実際の犯罪歴は無い。