丁目

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丁目(ちょうめ)とは住居表示により生まれた番地の上

概要[編集]

江戸時代以前の「丁目」は、長い通りに沿った町を、おおよそ一町(100m)間隔で一丁目、二丁目と区切ったものである。古くからの都市の多くに当時の名残がある。例えば大阪市の船場地区の場合、東西方向に伸びる道路の単位で町が定められ、各町が東から順に一丁目、二丁目・・・と区切られている。ただし大阪の場合、江戸時代初期に丁目の統合が行われたため、一つの丁目の長さは約300mと長い。姫路市だと、龍野町がほぼ唯一の古くからある例で、ほぼ100m間隔で並んでいる。

明治以降の新興都市もほぼ同様の形態である。例えば神戸市も、東西方向に伸びる道路の単位で「○○通」という町名がつけられ、各町が東から順に一丁目、二丁目・・・と区切られた。

しかし、時代とともに状況が変わる。昭和頃から、元は農村地帯だったのに都市化によって人口が急増し、かつての大字が人口・面積ともに大きくなった所が増加した。そうした所では、旧来の大字を小さな単位に分割することがよく行われたが、町の名前を多くしすぎると逆にわかりにくくなることもあり、一丁目、二丁目、・・・と丁目で分割することが多かった。元から通りに沿った細長い町ではないので、広い道路や小字界を基準に分割しているケースが多く、旧来の丁目とは実態が大きく異なっている。

特に、昭和後半の住居表示施行にあたって町名の改変が相次いだ際に、丁目つきの地名が増加した。現在の「丁目」の多くは、昭和後半に生まれたものである。