ユスフ・ハビビ
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バハルディン・ユスフ・ハビビ(Bacharuddin Jusuf Habibie、1936年6月25日 - 2019年9月11日)は、インドネシアの技術者、政治家である。スハルト政権末期の副大統領を務め、スハルト辞任後、同国の第3代大統領に昇格した(在任:1998年 - 1999年)。政治家になる前はドイツの航空機メーカー・メッサーシュミットの副社長を務めていた。
経歴[編集]
スラウェシ島南部のパレパレ出身。旧西ドイツのアーヘン工科大学で博士号を取得し、航空機メーカーのメッサーシュミット社の副社長を務めた。その在任中の1974年にスハルト大統領に招聘されて技術担当の大統領顧問に就任する。1978年から1998年にかけて研究・技術担当の国務相として、インドネシアの航空機や兵器の開発など、大型国家プロジェクトに取り組む。
1998年3月に副大統領に就任するが、スハルトが退陣したため、2か月後の5月に第3代大統領に昇任する。政党結成の自由化などを進め、東ティモールの独立を認める方針も打ち出した。しかし1999年10月、国権の最高機関だった国民協議会で事実上の不信任が決議されて退陣を余儀なくされた。
2019年9月11日、ジャカルタの病院で老衰のため、死去した。83歳没。