モスク=ブルガリア紛争
モスク=ブルガリア紛争とはマイクラ戦闘地帯 EBB戦線の歴史上にて1965年に発生した戦争である。当時ブルガリアと対立していたモスクスターク第3社会主義共和国が宣戦布告して始まった。
経緯[編集]
1963年にブルガリアとの国境紛争が勃発して以来両国間は常に対立関係にあった。そして日に日にエスカレートしていき戦争状態を回避することのできないと踏んだモスクスターク第3社会主義共和国が宣戦布告した。
モスク=ブルガリア紛争[編集]
この戦争は紛争と評されているが近年ではモスク=ブルガリア戦争と評したほうがいいのではないか?という意見もある。この戦争へは冷戦の最中ということもあり代理戦争の一つとなった。この戦争は5年間続く非常に長い代理戦争となった。
北方一斉侵攻作戦[編集]
モスクスターク連邦共産軍による北方作戦ともいわれるこの作戦は国境部全域に機甲師団を集め、一斉に攻勢を仕掛ける作戦である。全面的な攻勢作戦に敵は驚愕し優位な防衛をすることができなかった。特に黒海に面しているところには海軍に要艦砲射撃が目立ち陸軍なども破壊されていき容易に侵攻できた。そのため港を確保したモスクスターク連邦共産軍は黒海からの上陸を敢行。2正面作戦に持ち込み国境部を完全に制圧した。
スターヴ民主共和国介入[編集]
この侵略戦争を終わらせようとスターヴ民主共和国はこの戦争にブルガリア側として全面介入。東側の極悪非道な戦略だとして非難しモスクスターク第3社会主義共和国を降伏させるため地中海を回ってまで援軍を届けた。またこれにグラストアリア合衆共和国やカナダル合衆連邦が介入し一時期はこのままモスクスターク第3社会主義共和国が降伏するのではないか?と思われたがここでついに東側諸国が本格的に動き出した。
盗ソ同時介入[編集]
モスクスターク第3社会主義共和国の苦戦を見てこのままでは西側諸国の庭ができてしまうと感じた東側諸国は全面的な介入を決定。ここに代理戦争が発生した。キッド社会主義共和王国連邦とソビエツィア社会主義共和国連邦の社会主義国最列強ともいえる子の国々が参戦し一気に状況は覆ることとなる。
レッドスター反攻作戦[編集]
共産主義の象徴たる赤い星をもじったこの作戦は共産主義の国々の結束の意味合いと資本主義には到底勝ち得ないという意味合いを兼ねたこの作戦は瞬く間に成功し、一斉侵攻により各国の義勇軍もまとめて破壊しつくし怒りのままに敵兵はキャタピラでひき殺すといった措置を取り挙句の果てに資本主義国は撤退していきブルガリアは降伏した。
戦後処理[編集]
この戦争における戦後処理としては元の目的通りブルガリアはモスクスターク第3社会主義共和国が全土併合を果たし連邦制となったモスクスターク第3社会主義共和国はモスクスターク第3社会主義共和国連邦となりキッド社会主義共和王国連邦・ソビエツィア社会主義共和国連邦は多数の戦争賠償金などを手に入れた。