ミヤコショウビン

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ミヤコショウビン
分類
ブッポウソウ目
カワセミ科
亜科ショウビン亜科
ヤマショウビン属
ズアカショウビン
亜種ミヤコショウビン
名称
学名Todiramphus cinnamominus miyakoensis Kuroda, 1919
和名ミヤコショウビン (宮古翡翠)
英名Ryukyu kingfisher
保全状況
IUCNレッドリスト(未掲載)
環境省レッドリスト絶滅種

ミヤコショウビンとは、ブッポウソウ目カワセミ科に分類される幻のカワセミである。

形状[編集]

全長20cm。羽は105mmで、尾は85mm[1][2]

頭部・胸部・腹部は、濃いシナモン色。嘴の付け根から目の後方は黒い帯状模様があり、左目の上に小さな白斑が点在する。背中・翼・尾は光沢のあるコバルトブルー。脚は暗い赤[1]

生態[編集]

宮古島のみで生息が確認されている。本種が見つかった正式な事例は1例のみである。

1937年で、最初で最後の発見例から50年が立ち、環境省レッドリストで絶滅種扱いされるようになった。

絶滅要因は、開発とされる。

発見と記載[編集]

1887年(明治20年)2月5日に宮古島で田代安定によりミヤコショウビンが初めて採集された。この個体は標本になり、東京帝国大学に保管されていた[2]

30年以上たったある日、鳥類学者の黒田長礼がこの標本を発見。この標本の詳細を田代安定に聞き、1919年(大正8年)にHalcyon miyakoensisとして新種記載された[1]

現在、タイプ標本は、山階鳥類研究所にて保管されている。標本番号はYIO-00071で、山階旧標本番号はYY-26246。

2例目[編集]

今の所、発見されたのは一例のみである。

然し、1936年(昭和11年)の新聞に「蔵重久元知事がミヤコショウビンの剥製を天皇陛下のに献上した」と言う話が乗っている。然し、どの様に同定したかは不明であり、本当にミヤコショウビンか分からない[3]

1968年9月、来間小中学校雑役勤務の砂川金六がミヤコショウビンを見たと申し出た。1968年に2羽見て、夜はタバコ乾燥蔵コンクリートの穴に入っていたと話している[4]

同校は仲曽根に調査を依頼し、新里盛繁教頭が全生徒に注意するようにしたが、進展はなかった。

分類[編集]

ミヤコショウビンの分類的地位は、異論がある。

本種とズアカショウビンのグアム島亜種の形状の差は殆ど無い。また標本のラベルには、元々記載はなかった。後に付けられたラベルには菊池米太郎が問い合わせた情報が載せられている[2]

また田代安定は宮古島を訪問した丁度3年後にグアムに滞在しており、記憶を混同した可能性も否定できないとされる[2]

この為、ミヤコショウビンの分類学的地位は不透明であり、独立種ではなく亜種説や迷鳥説・飼育個体説が存在する。

IUCNは本種を存在を認めておらず、IUCNレッドリストにミヤコショウビンは未掲載である。

分子系統学的手法による系統解明で、この問題を解決できるなではないかと言われている[2][5]

尚、ミヤコショウビンの標本が採集されてからある程度、年月が経っているため、DNAが断片化して、DNAの増幅が難しくなる事が心配されている[6]

脚注[編集]

  1. a b c 黒田長礼「南日本産三新鳥の記載」、『動物学雑誌』第31巻第370号、東京動物學會、1919年8月15日、 229-233頁。
  2. a b c d e 平岡考 (2005年7月1日). “第17回 空前絶後の1点の標本の謎”. 山階鳥類研究所. 2024年1月10日確認。
  3. 保科英人「昭和十一年に捕れた “ 宮古ショービン ” の剥製標本」、『福井大学教育・人文社会系部門紀要』第8巻、福井大学、2024年、 150-153頁。
  4. 高良鉄夫、黒田長久「琉球における未記録種および稀種」、『山階鳥類研究所研究報告』第5巻第5号、山階鳥類研究所、1969年、 547-562頁、 doi:10.3312/jyio1952.5.5_547
  5. 梶田学「DNAを利用した鳥類の系統解析と分類」、『日本鳥学会誌』第48巻第1号、日本鳥学会、1999年、 5-45頁、 doi:10.3838/jjo.48.5
  6. 齋藤武馬、小林さやか、岩見恭子、浅井芝樹「鳥類を用いたDNAバーコーディングの成果と課題―山階鳥研のとりくみを中心として」、『山階鳥類学雑誌』第54巻第1号、山階鳥類研究所、2022年、 165-181頁、 doi:10.3312/jyio.54.165