ペネロープ・ギリアット

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ペネロープ・ギリアット(Penelope Gilliatt、1932年3月25日 - 1993年5月9日)は、イギリスの小説家、脚本家、映画評論家。

イギリスの『オブザーバー』紙の評論家を経て[1]、1968年からブレンダン・ギルの後任としてポーリン・ケイルと6ヶ月交代で『ニューヨーカー』誌の映画時評を担当した。1979年3月25日号に小説家のグレアム・グリーンのプロフィールを執筆したが、小説家のマイケル・ミューショーが『ネイション』誌の1977年4月16日号に執筆した記事の一部をクレジットなしで使用したと指摘され、1979年5月21日号で健康上の理由で休職することが発表された[2]

映画評論、映画監督に関するノンフィクションの他、演劇評論、短編小説、脚本も執筆した。1971年のジョン・シュレシンジャー監督の映画『日曜日は別れの時』の脚本を担当して全米批評家協会賞ニューヨーク映画批評家協会賞の脚本賞を受賞し、アカデミー賞英国アカデミー賞の脚本賞にノミネートされた。

神経科医のロジャー・ギリアット、劇作家のジョン・オズボーンと結婚・離婚歴があり、映画監督のマイク・ニコルズ、文芸評論家のエドマンド・ウィルソンと不倫関係にあった。結婚はしなかったが、『ニューヨーク・タイムズ』紙の映画評論家ヴィンセント・キャンビーの長年の伴侶だった[1]

1993年に長年の飲酒と健康状態の悪化により61歳で死去した[1]

出典[編集]

  1. a b c Sarah Weinman「The Other Film Critic at The New Yorker」Slate、2012年1月13日
  2. Herbert Mitgang「Greene Calls Profile of Him In New Yorker Inaccurate」The New York Times、1979年5月12日