ベルナルト・ハイティンク

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ベルナルト・ハイティンク(Bernard Haitink, 1929年3月4日[1] - 2021年10月21日[2])は、オランダ指揮者[3][4][5]

略歴[編集]

アムステルダムの出身。9歳の頃からヴァイオリンを始め、アムステルダム音楽院に進学。音楽院ではヴァイオリンの傍らでフェリックス・フプカに指揮法を学んだ。1954年にオランダ放送交響楽団にヴァイオリン奏者として入団したが、翌年にはオランダ放送組合主催の指揮者養成のコースに参加し、フェルディナント・ライトナーに指揮法を教わった。1955年にはオランダ放送組合から次席指揮者に任命されている。1956年にカルロ・マリア・ジュリーニの代役として、ルイジ・ケルビーニのレクイエムをアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏会で指揮して注目されるようになった。1957年にはオランダ放送フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任し、その翌年にはロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団に客演してアメリカ・デビューを果たしている。1961年にはオイゲン・ヨッフムと共同でアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者に就任し、1964年から1988年までは、ハイティンク単独でその任を担った。その任期中の1967年からロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を兼任し、70年から79年まで同管弦楽団の芸術監督の任にあった。さらに1978年から1988年までグラインドボーン音楽祭、1987年から2002年までコヴェントガーデン王立歌劇場のそれぞれで音楽監督を歴任。2002年にはドレスデン・シュターツカペレの首席指揮者となったが、2004年には辞任している[6]。2006年から2010年までシカゴ交響楽団の首席指揮者を務めた[7]。2019年に指揮活動からの引退を表明。

2021年10月21日、ロンドンの自宅にて死去。92歳没。

脚注[編集]

  1. 巨匠指揮者ベルナルト・ハイティンクが引退を表明 - TOWER RECORDS ONLINE”. 2021年10月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月22日確認。
  2. “世界的指揮者・ハイティンクさん死去、92歳…コンセルトヘボウの首席指揮者を長年務める”. 読売新聞. (2020年8月27日). オリジナル2020年10月22日時点によるアーカイブ。. http://archive.is/a03X6 2020年10月22日閲覧。 
  3. 本名はベルナルト・ヨハン・ヘルマン・ハイティンク(Bernard Johan Herman Haitink)。
  4. アーカイブ 2020年4月30日 - ウェイバックマシン
  5. ハイティンクとは - コトバンク”. 2021年10月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月23日確認。
  6. アーカイブ 2021年10月22日 - ウェイバックマシン
  7. アーカイブ 2021年10月22日 - ウェイバックマシン