ベイジル・ヒートリー
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ベイジル・ヒートリー(Benjamin Basil Heatley、1933年12月25日 - 2019年8月3日)は、イギリスの元陸上競技選手(長距離)である。ウォリックシャーのケニルワース出身。
略歴[編集]
1964年の東京オリンピックの男子マラソンでは2番手で競技場に戻ってきた円谷幸吉をラスト200メートル付近で抜き去り、2位でゴールしている。2014年の共同通信の取材では、2020年の東京オリンピックについて「蒸し暑い日になれば、日本選手にもきっとチャンスがある。86歳になるけど行ってみたい」と話していたという。
しかしその1年前である2019年8月3日、休暇で一時的に滞在していたイギリスの親族宅で心不全により死去した。85歳没。
マラソン成績[編集]
- 自己最高記録…2時間13分56秒(1964年6月13日)
年月 | 大会名 | タイム | 順位 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1956年6月 | ミッドランド選手権 | 2時間36分55秒2 | 優勝 | |
1957年5月 | 2時間32分01秒 | |||
1963年8月 | イギリス選手権 | 2時間19分56秒 | 2位 | |
1963年10月 | コシチェマラソン | 2時間20分22秒4 | 4位 | |
1964年6月 | ポリテクニックマラソン | 2時間13分56秒 | 優勝 | 世界最高記録 |
1964年10月 | 東京オリンピック | 2時間16分19秒2 | 2位 |