フジ子・ヘミング
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フジ子・ヘミング(Fuzjko Hemming, 1932年[1]12月5日[2] - )は、ドイツ出身のピアノ奏者。[3][4]本名はイングリッド・フジコ・フォン・ゲオルギー=ヘミング(Ingrid Fuzjko von Georgii-Hemming)[5]。
ベルリン出身[6]。父はスウェーデン出身の建築家であるヨスタ・ゲオルギー=ヘミングで、母は日本人ピアノ教師の大月投網子である。5歳の時に日本に移住したが、父は1938年に離婚してスウェーデンに帰ってしまった。母にピアノの手ほどきを受け、9歳の時にラジオに出演してピアノを弾き、天才少女としての評判を得た。10歳の頃から、母の師であったレオニード・クロイツァーのレッスンも受けた。16歳の時に中耳炎で右耳を失聴したが、東京音楽学校に進学し、1954年のNHK毎日コンクールで2位入賞。18歳の時からスウェーデン国籍を失い、無国籍状態であったが、1961年にドイツ大使館の力添えによりベルリンとウィーンに留学して、パウル・バドゥラ=スコダに師事。[7]1979年頃にデビュー・リサイタル直前に引いた風邪がもとで左耳も失聴。スウェーデンに渡ってスウェーデン国籍を取得し、しばらく左耳の機能回復の治療に専念。ある程度回復したところで、ピアノ教師としての活動を中心にして糊口をしのいだ[8]。1995年に母の死を受けて日本に移り、旧東京音楽学校奏楽堂でリサイタルを開いて[9]ピアノ奏者として再起を果たした。1999年にNHK教育テレビジョンで放送された『フジコ~あるピアニストの軌跡~』[10]で広く知られるようになった[11]。
脚注[編集]
- ↑ アーカイブ 2022年3月22日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2016年2月3日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2020年11月21日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2022年3月22日 - ウェイバックマシン
- ↑ Swed, Mark (2009年7月27日). “MUSIC REVIEW”. Los Angeles Times. オリジナルの2022年3月22日時点によるアーカイブ。 2022年3月22日閲覧。
- ↑ “フジ子・ヘミング 「クリコ (猫十態)」 Fujiko Hemming”. 2022年3月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月22日確認。
- ↑ アーカイブ 2022年3月22日 - ウェイバックマシン
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- ↑ アーカイブ 2022年3月22日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2022年3月22日 - ウェイバックマシン