トーク:油ヶ淵

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
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高浜川の川幅[編集]

細かいことですが、(高浜川の川幅が)「1956年(昭和31年)には現行の川幅60mとなった」という記述ですが、この文の意味は、(1)1956年(昭和31年)に現行の川幅になった、(2)現行の川幅は60mである、の2つに分解できます。前者はおいておくとします。高浜川の川幅を測定すると、現在狭い所で57m、広い所で120m(油ヶ淵の境界(入口)及び出口(湾の河口))あります。したがって、問題の文は、誤りを含んでいると考えます。

改訂案ですが、「1956年(昭和31年)に川幅60mに改修された。改修時期は不明であるが、現行の川幅は約60mから120mである」と2文に分けるのがよいと考えますが、いかがでしょうか。第1文は原文尊重で残しています。しかし、その記述の正しさは原作成者による証拠が示されてないので、分かりません。その後に改修されたという記事がなければ、最初から同じ川幅だったと言えるかもしれません。2文目は『二級河川高浜川水系 河川整備基本方針』に川幅は「70mから120m」とありますが、現状を測定すると最も距離の短いところで57mですので、現実(実際の川幅)に合わせるのがよいと考えます。--Eifuku21 (トーク) 2019-05-18T22:42:14 (JST)

    • 追加コメントです。1958年の航空写真をみますと、高浜川の河口の形状は現在と違いますが、入口の油ヶ淵の境界は現在と同じ形状、同じ川幅です。わずか2年後なので、そこで再改修したとは思えません。よって、当初から57mから120mの川幅であったことでしょう。その2年の間に、拡幅・再改修の記録がない限り、第一文は「1956年(昭和31年)に改修された。」と川幅を明記しない修正で提案します。第2文はそのまま。--Eifuku21 (トーク) 2019-05-19T10:50:04 (JST)

原作成者が参考文献を基に書いていると前提してコメントしますが、第一文を「1956年(昭和31年)に改修された。」とするのには反対です。「1956年(昭和31年)には現行の川幅60mとなった」という文の意味は、(1)1956年(昭和31年)に川幅60mとなった、(2)現行の川幅は60mである、の2つに分解するべきでは? 35mから60mに拡張されたという文の趣旨や川の形状から、川幅60mが大半の流域での川幅を指しているのは明らかです。河口や油ヶ淵の境界の川幅を追加すること、「現行の」という文を外すことには反対しません。--P906i (トーク) 2019-05-20T21:28:14 (JST)

この記事の参考文献に書いてあると誤解されそうなので、できれば「現在狭い所で57m、広い所で120m(油ヶ淵の境界(入口)及び出口(湾の河口))」の情報源を教えてください。あとこれらのことは新たに「高浜川」という記事を作って書いたらいいのではないでしょうか?--P906i (トーク) 2019-05-20T21:41:12 (JST)

情報源は、前に書いているように1958年の航空写真と現行の国土地理院地形図です。「(1)1956年(昭和31年)に川幅60mとなった」は正確ではないので、これはまずいと思います。「(2)現行の川幅は60mである」は明らかな誤りです。現状は河口から130m入ったところでも、川幅は96mありますから。「原作成者が参考文献を基に書いている」かどうかは、分かりません。もしかすると原作者はWikipedia「高浜川 (愛知県)」に「高浜川の拡張工事が行われ、現在の川幅60mとなった」をそのまま採用した可能性もあります。いずれにしても元の記述に根拠の記載がないので、「川幅60m」記載の根拠は明らかではありません。新たに「高浜川」を作成したとしても、間違いがなくなるわけではありません。--Eifuku21 (トーク) 2019-05-20T22:12:36 (JST)

  • 「大半の流域での川幅を指している」ことは認めているので、「大部分の流域で川幅約60m」としました。「約」がつくのは、60mを切る個所もあるからです。川幅というのは、ずっと同じ幅ではなく、変動があります。--Eifuku21 (トーク) 2019-05-20T22:24:03 (JST)
    • おおむねその編集には反対しません。高浜川の事業紹介(愛知県)によれば、昭和50年度からも「河川の拡幅」が行われたそうなので、「現行の」を外すのはありかもしれません。一応、原作成者は参考文献を提示しているので、それを確認しないで否定することには強く賛成できません。--P906i (トーク) 2019-05-20T22:45:26 (JST)

仮に『龍燈の湖 油ヶ淵の過去・現在・そして未来へ』に書いてあったというなら、記述ミスなのでしょう。その資料は 安城市歴史博物館の資料で、安城市歴史博物館が特別展( 会期: 平成26年11月22日-平成27年1月25日)のために編集した73ページものです。歴史博物館の人物が地形測量に詳しいとは思えません。航空写真は実際の地形を撮影していますから、これを否定する根拠にはなりません。どちらが正確か、信頼できるかは明らかです。--Eifuku21 (トーク) 2019-05-20T22:59:25 (JST)