ジョン・ディーコン

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ジョン・リチャード・ディーコン (John Richard Deacon) は、英国のロックバンド、クイーンのベーシスト。容姿の個性が強い他メンバーと比べて地味な扱いを受けることが多いが、寡作ながらソングライターとしても優れた才能を発揮している。1991年のフレディ・マーキュリーの死をきっかけに現在は音楽活動から引退している。

1979年、クレイジー・ツアーのショット。

経歴[編集]

1951年8月19日、イングランドのレスター生まれ。7歳の頃からおもちゃのギターや無線装置で遊んでおり、音楽への興味と機械への強みが人生へ影響を与えることとなる。14歳から仲間内のバンドでリズムギター、のちにベースギターを担当し、チェルシーカレッジ電気工学科では首席で卒業するインテリだった。卒業後は音楽への関心をより深め、多くのバンドのオーディションを受けるが、自己主張が足らなかったのかすべて落選してしまう。しかし1971年に友人と訪れたディスコで、ブライアン・メイロジャー・テイラーに出合い、当時ベーシストが定着していなかったクイーンのオーディションを受ける。(本人曰く7人目のオーディションだったらしい)

脱退したベーシストに比べ自己主張が少なく、電気工学に通じていたためオーディションには合格しクイーンの顔ぶれが出来上がった。この後フレディが死去するまでの20年間この四人での活動となる。また、私生活では1975年に教師のヴェロニカ・テツラフと結婚、六児を儲けるなど奥様一筋だったようである。

1991年にフレディが死去すると音楽活動には一気に消極的となり、1997年に残された三人で発表した「ノー・ワン・バット・ユー」を最後にクイーンの(2005年に始まったクイーン+ポール・ロジャースにも)活動には参加しておらず、ファンの間では寂寥の感がありつつも引き際への評価は高い。

クイーン[編集]

初期[編集]

加入当初最年少であり、また歌が下手だったため存在感は薄く、ファーストアルバムとセカンドアルバムには彼の曲が採用されていないばかりか、クレジットに『ディーコン・ジョン』などと表記されるなど微妙な扱いを受けていた。しかしサードアルバムでの『ミスファイア』を皮切りに、寡作ながらもメロディアスなセンスを生かした名曲で優れたソングライターとなる。ヴェロニカとの結婚当初に書かれた『マイ・ベスト・フレンド』は全英7位の初ヒットとなり、ブライアンにも好評を得たこの曲はファンの間でも非常に人気が高い。

ライヴでは「一番少年っぽい」見た目ながらも調子が狂いやすい他メンバーとは違い、大変安定したパフォーマンスで支えた。基本的にスタジオではマイクを取ることがなかったが、初期から中期のライヴでよく演奏された『神々の業』における「ウォ~ウォ~ラララ~」の部分では一人だけ妙な声を出している人が確認でき、歌わなかった理由が想像できる。ジョンマイクの音量が大きい場合は事故扱いを受けることがほとんどだが、ブライアンが音を外しているときなど稀にハモることがある。

また電気工学の知識を生かして自作のアンプ「Deacy(ディーキー)」を製作し、ブライアンはこれを重宝した。

後期[編集]

80年代に入るとクイーン内での存在感をさらに強め、これまでとの曲調から一変しファンク要素を取り入れた『地獄へ道づれ』を発表。当初マイケル・ジャクソンへの提供を予定としたこの曲だったが、彼の勧めによりフレディが歌ったところアメリカでチャート一位となり、フレディ存命中クイーンで最大のセールスを記録した。この結果を受けて82年発表されたアルバム『ホット・スペース』ではシンセサイザーを多用し、ブラック要素の強い曲が多数採用されていたため、古くからのファンの反発を招き、チャートでは振るわない結果となった。

その反省を踏まえて84年のアルバム『ザ・ワークス』では主にポップな曲を提供し、『ブレイク・フリー』は南米で解放の聖歌としてチャートを独走した。その後メンバー全員のソングライターとしての成熟により、印税などの問題でバンド内の空気が不穏なものとなったため、89年のアルバム『ザ・ミラクル』からはすべての曲をQUEEN名義とすることで解決している。91年にフレディが死去するや一気にバンド活動には消極的な姿勢を見せたが、ブライアンとロジャーの説得により92年の「フレディ・マーキュリー追悼コンサート」に参加、95年には残されたデモ音源や未完成曲を必死に3人で完成させたアルバム『メイド・イン・ヘヴン』を発表した。

基本的には97年を最後に音楽活動から引退し現在は家族と生活しており、メンバーたちにも数年に一度連絡を取る程度(ロジャー談)とのこと。最近は投資で儲けたり、印税が安定して入っているらしい。

その他の曲[編集]

アルバム内で中心となる曲を書くことは少ないが、耳に残る曲が多いため彼の曲はBGMとしての需要も高い。他メンバーとの共作ではお互いの良い部分を引き出すことが多いようだ。また作風の変化こそあれファンの間では「ジョン曲にハズレなし」と定評を得ている。

  • Spread Your Wings(邦:永遠の翼)'77年発表の彼らしいメロディアスな感性が光る佳曲。
  • Back Chat:問題のアルバム『ホット・スペース』収録。耳に残るベースラインが特徴だが、田原俊彦の『シャワーな気分』はこの曲からのパクリが指摘されている。
  • Cool Cat:同じく『ホット・スペース』収録。良い意味で'80年代風な、Queenの音楽性の広さを再認識させられる不思議ソング。
  • My Life Has Been Saved - ジャケットの夕焼けを想起させるような爽やかなナンバー。
  • You And I:ファンの間では「You're My Best Friend」を超えたとも言われる軽快なナンバー。

関連項目[編集]