ザラ・ネルソヴァ

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ザラ・ネルソヴァ(Zara Nelsova, 1918年12月23日[1] - 2002年10月10日)は、カナダチェロ奏者。[2][3]本名はサラ・ネルソン(Sarah Nelson)[4]、またはサラ・カッツネルソン(Sara Katznelson)[5]

ウィニペグ出身。ペテルブルク音楽院出身のフルート奏者だった父グレゴールの手解きで、5歳よりチェロを始め、ダヴィッド・ポッパー門下のデジェ・マハレクのレッスンも受けた。1924年から姉たちとピアノ三重奏で演奏を披露するようになり、1926年にはマニトバ音楽祭に出演して好評を博した[6]。1929年にマニトバ州教育省の助成を受けてロンドンに移住し、ロンドン・チェロ学校のハーバート・ワーレンの薫陶を受けた。12歳の時にマルコム・サージェントの指揮するロンドン交響楽団と共演してデビューを飾り、1934年から1936年まで姉たちと結成したピアノ三重奏団でアフリカやオーストラリアへ演奏旅行を行った。1939年に第二次世界大戦によりカナダに帰国し、1940年から1943年トロント交響楽団の首席チェロ奏者を務めた。1941年から1944年までアーネスト・マクミランとヴァイオリン奏者のカスリーン・パーロウとでピアノ三重奏団を結成して活動している。また、トロント交響楽団に在任中の1942年からグレゴール・ピアティゴルスキーの知己を得てレッスンを受けるようになり、短期間ながらエマヌエル・フォイアマンにも教えを受けた。1946年にはパブロ・カザルスに師事している。演奏活動は、1942年から次第にアメリカに活動の軸足を移すようになり、1955年にはアメリカ市民権を得た。1963年にはグラント・ヨハネセンと結婚したが、1973年には離婚している。1997年に演奏活動から引退。1985年から亡くなる年までジュリアード音楽院で後進の指導は続けた。

マンハッタンの自宅にて死去。

脚注[編集]

  1. 1917年12月24日生まれとする資料もある。(“Zara Nelsova, 84, a Cellist Who Worked With Bloch”. New York Times. (2002年10月18日). オリジナル2021年3月13日時点によるアーカイブ。. http://archive.is/HJFqr 2021年3月13日閲覧。 )
  2. アーカイブ 2021年2月18日 - ウェイバックマシン
  3. Warren, Eleanor (2002年10月19日). “Zara Nelsova”. The Guardian. オリジナル2021年3月13日時点によるアーカイブ。. http://archive.is/9c7I1 2021年3月13日閲覧。 
  4. アーカイブ 2021年3月13日 - ウェイバックマシン
  5. アーカイブ 2021年3月12日 - ウェイバックマシン
  6. Zara Nelsova | The Canadian Encyclopedia”. 2021年3月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月13日確認。