グリゴリー・クレピニン

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1915年撮影

グリゴリー・ザハロヴィッチ・クレピニン(Grigory Zakharovich Krepinin、ロシア語: Григорий Захарович Клепинин1880年11月17日 - 1938年9月2日)は、ロシア帝国の軍人。

生涯[編集]

ペンサ県(現在のペンサ州)モクシャンスキー地区ミハイロスカヤ郷周辺の村の農民一家の子として生まれる[1]

村の教区学校卒業後は石工に従事する。

1902年、彼は軍に入隊し、1905年9月5日曹長1915年2月14日少尉に昇進する(この時聖ゲオルギー勲章授与されている)。

第一次世界大戦に参加し、ケクスホルム親衛連隊の一員として1915年8月15日〜20日にかけて、東プロイセンディートリクスドルフオリゾラナフランケナウ、ラネケン、ムシャケンでの戦いで負傷した大尉を助けたとして前述の勲章を3つ授与され[2]、同年9月9日に負傷した際、ドイツ軍兵士より担架に載せられ(リボルバーを使って載せる様脅した為)、連隊に帰還する[3]

終戦後は1920年代後半から1930年代前半までダブレカノボに住んでいたが、1930年11月5日に逮捕され、懲役5年の刑を言い渡される。

1938年2月13日に逮捕され、同年9月2日に死刑判決を下された直後に処刑される(1957年11月22日名誉回復)[4]

脚注[編集]

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