ウンベルト・レンツィ

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ウンベルト・レンツィ(Umberto Lenzi, 1931年8月6日 - 2017年10月19日)は、イタリアの映画監督、脚本家、小説家。別名はハリー・カークパトリック(Harry Kirkpatrick)、バート・レンジ(Bert Lenzi)、ハンフリー・ロンガン(Humphrey Longan)、ハンフリー・ハンバート(Humphrey Humbert)、ハンク・マイルストン(Hank Milestone)[1]

経歴[編集]

トスカーナ州グロッセート県マッサ・マリッティマ生まれ。父親は肉屋を営んでいた[2]。法学部を中退し、1956年イタリア国立映画実験センター卒業。映画評論家・小説家を経て、1961年『海の女王』で監督デビュー。様々なジャンル映画を手掛ける職人監督として活躍した。監督作品に冒険映画『サンドカン総攻撃』(1963年)、『I pirati della Malesia』(1964年)、007シリーズに便乗したスパイ映画『全滅作戦008』(1965年)、戦争映画『激戦地』(1969年)、『ザ・ビッグ・バトル』(1978年)、キャロル・ベイカー主演のジャッロ映画狂った蜜蜂』(1969年)、『甘く危険な女』(1969年)、『殺意の海』(1970年)、『声なき殺人者』(1972年)、ジャッロ映画『ガラスの旅』(1971年)、『Sette orchidee macchiate di rosso』(1972年)、『スパズモ』(1974年)、『Gatti rossi in un labirinto di vetro』(1975年)、トーマス・ミリアン主演のポリツィオテスキ(犯罪アクション映画)『ミラノ殺人捜査網』(1974年)、『Roma a mano armata』(1976年)、『ナポリ犯罪ルート』(1976年)、食人映画『怪奇!魔境の裸族』(1973年)、『食人帝国』(1980年)、『人喰族』(1981年)、ホラー映画『ナイトメア・シティ』(1980年)、『ゾンビライダー』(1988年)、『ゴーストハウス』(1988年)などがある[3]。晩年は犯罪小説を執筆した。

人物[編集]

ダリオ・アルジェントルチオ・フルチよりも低く評価されているが、大衆的な人気のある娯楽作品を多数手掛けた。1973年の『怪奇!魔境の裸族』は食人映画というジャンルの元祖となった。この映画に影響を受けたルッジェロ・デオダートが『カニバル』(1977年)、『食人族』(1980年)を監督すると、レンツィは『食人帝国』(1980年)、『人喰族』(1981年)を監督した。デオダートの『食人族』とレンツィの『人喰族』は日本でも大ヒットした。1980年の『ナイトメア・シティ』はロメロの『ゾンビ』(1978年)に便乗したフルチの『サンゲリア』(1979年)に便乗したゾンビ映画の1つであり、『ゾンビ3』(1981年)や『ヘル・オブ・ザ・リビングデッド』(1981年)と並ぶ悪名高いカルト映画である。「走るゾンビ」の元祖といわれる『バタリアン』(1985年)より5年早く「走るゾンビ」を登場させていることでも知られる。

妻は女優のオルガ・ペハル(Olga Pehar, 1938〜2015)。

日本でソフト化された作品[編集]

DVD[編集]

VHS止まり[編集]

出典[編集]

外部リンク[編集]