ウラジーミル・ディテリフス
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ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・ディテリフス(ロシア語:Владимир Владимирович Дитерихс、1891年7月3日 - 1951年12月28日)は、ロシア帝国、ソビエト連邦の軍人。
生涯[編集]
1891年7月3日、キエフにてウラジーミル海軍少将の息子として生まれた。
1908年に海軍で士官候補生として入隊し、同年5月2日、巡洋艦ミニンに配属された。
1909年6月8日以来、練習船ヴォインや巡洋艦オレグに配属され、同年9月7日に下士官になったが、同月31日に剥奪(理由は不明)され、士官候補生に降格された。
第一次世界大戦時に駆逐艦ドストーイヌイの監視司令官に就任した。1915年1月、カフカス先住民騎兵師団に所属するバルチック艦隊騎兵部隊で、機関銃部隊の第1小隊の指揮官を務めた。
1915年3月22日に中尉に昇進したが、同年6月に負傷した。後に聖ウラジーミル勲章第4級を授与された。
十月革命後は赤色海軍に勤務し、諜報任務に当たったが、フィンランド当局に逮捕された。(のちに釈放される)
1919年7月24日に海軍を脱走し、ユデーニチ将軍率いる北西軍に参加し、諜報活動に専念した。
内戦終結後はタリンに定住し、木材取引所の会計士として働いた。1923年にエチオピア帝国の軍事顧問を務めた。1930年にパリに移住したのち、化学者として過ごした。
1951年12月28日に死去した。