アンネローゼ・シュミット

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アンネローゼ・シュミット[1](Annerose Schmidt, 1936年10月5日[2] - 2022年3月10日[3])は、ドイツ出身のピアノ奏者。[4]

ザクセン=アンハルト州ヴィッテンベルクの出身。父ベルンハルトはヴィッテンベルク音楽学校の校長であった。その父に5歳の頃からピアノの手ほどきを受け、9歳の時に地元の小劇場でリサイタルを開いた。1947年にはハレの芸術家商工会議所からコンサート・ピアニストとしての専門資格を発行されている。1950年代初頭まで父親の監視下にあったが、1953年にライプツィヒでフーゴ・シュトイラーに入門し、1954年から翌年までライプツィヒ音楽院に在学。1956年にロベルト・シューマン国際音楽コンクールで優勝し、本格的な演奏活動を行うようになった。1987年から[5]2004年まで[6]ハンス・アイスラー音楽大学で教鞭を執る。1990年から1995年まで同音楽大学の学長を務めた[7]。2006年に脳卒中に罹患し、演奏活動から引退[8]

ベルリンにて没[9]

脚注[編集]

  1. 放送ジャーナリストのディーター・ベック(Dieter Boeck)と結婚後、本名はアンネローゼ・ベック(Annerose Boeck)となったが、音楽家としては結婚前の名前を使い続けた。(Tietke, Mathias (2016年10月7日). “Annerose Schmidt: Weltbekannte Pianistin aus Wittenberg”. Mitteldeutsche Zeitung. オリジナル2022年2月9日時点によるアーカイブ。. http://archive.is/LP70G 2022年2月9日閲覧。 )
  2. アーカイブ 2021年3月16日 - ウェイバックマシン
  3. アーカイブ 2022年3月15日 - ウェイバックマシン
  4. アーカイブ 2022年4月29日 - ウェイバックマシン
  5. ETERNA TRADING / [ETERNA] A.シュミット(pf) K.マズア指揮ドレスデンpo./モーツァルト:Pf協奏曲14, 15番”. 2022年2月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月9日確認。
  6. アーカイブ 2022年4月4日 - ウェイバックマシン
  7. アーカイブ 2022年4月4日 - ウェイバックマシン
  8. アーカイブ 2022年3月16日 - ウェイバックマシン
  9. アーカイブ 2022年4月29日 - ウェイバックマシン