アンドレ・ヴェイユ
アンドレ・ヴェイユ(André Weil,1906年5月6日 - 1998年8月6日)は20世紀の代表的な数学者である。20世紀思想史に残る哲学者、シモーヌ・ヴェイユは妹である。
概要[編集]
1906年、ユダヤ系フランス人の家庭に生まれる。16歳でフランスの最高学府エコール・ノルマルに入学を許され、19歳で数学異例の若さで教授資格を得た。 20世紀における最大級の数学界の巨星として、現代数理科学の飛躍的発展に大きく貢献した。数論と幾何学の関係について、ヴェイユ博士の卓越した洞察力と独創的な着想が基盤となり、領域間にみごとな相互関連性が次々と見出された。第二次世界大戦中は、兵役をに出た、職務の報告を怠った罪で起訴され、ルアーブル、次にルーアンに投獄された。1940年2月から5月までルーアンの地区であるボンヌヌーヴェルの軍事刑務所にいた。1941年1月、ワイルと彼の家族はマルセイユからニューヨークに向けて出航した。2年間、リーハイ大学学部で数学を教えていた。1994年、稲葉財団より京都賞基礎科学部門を受賞する。
業績[編集]
1940年代、交点理論の抽象化を柱とした抽象代数幾何学の基礎づけを完成し、数論と代数幾何学の融合研究の基盤を確立した。純代数的にアーベル多様体の理論を建設し、代数曲線やアーベル多様体の合同ゼータ関数に対するリーマン予想を解決するなどの業績をあげた。1930年代後半にアデール環を提唱しリーマンロッホの定理を証明した。 1949年、合同ゼータ関数の問題を高次元の代数多様体の場合に拡張して、「ヴェイユ予想」を提唱した。ポントリャーギン双対性と微分幾何学、代数群に関する数論の確立、保型表現に関する研究、数体上の代数多様体のゼータ関数の研究など、保型関数と代数幾何との結合を目指す研究をつづけた。
経歴[編集]
- 1906年、フランス、パリに生まれる[1]。
- 1909年、妹シモーヌが誕生。後のシモーヌ・ヴェイユ (哲学者)である。
- 1925年、教授資格を得る。
- 1928年、パリ大学で博士号を取得した。
- 1930-1932年、インドのアリーガル・ムスリム大学の教授となる。
- 1933年、ストラスブルグ大学教授となる。
- 1941年、アメリカ合衆国へ渡った。
- 1947年、シカゴ大学教授、
- 1958年、プリンストン高等研究所教授、
- 1976年、プリンストン高等研究所名誉教授
- 1998年8月6日、プリンストンで歿する。
関連項目[編集]
注[編集]
- ↑ アンドレヴェイユ,稲葉延子(訳)(2004)『アンドレ・ヴェイユ自伝』シュプリンガーフェアラーク東京。増補新版