アレクサンドル・プストシュヌイ
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アレクサンドル・マトヴェエヴィチ・プストシュヌイ(ロシア語:Александр Матвеевич Пустошный、1892年 - 1943年)はロシア帝国の船員、探検家で、ゲオルギー・セドフと共に行動した隊員の一人として知られている。
生涯[編集]
ロシア帝国アルハンゲリスク県のプストシュ村(現在のアルハンゲリスク州、ソロンバラ島地区)で、水先案内人の一家の元に生まれる。
水先案内人の学校を卒業後に、ゲオルギー・セドフと会い、1912年の北極到達の一員に誘われ、同年8月14日にアルハンゲリスクから出発し、翌年にゼムリャフランツァヨシファに到達した。
1914年2月20日、セドフとグリゴリー・リンニックと共にルドルフ島に向ったが、到達する前にセドフが死去したため、Auk岬に遺体を葬る。[1]
帰還の途中、ゲオルギー・ブルジーロフの部下、ヴァレリアン・アルバノフとアレクサンドル・コンラートが漂流しているのを発見したため、救助した。
帰国後は水兵として革命、内戦に参加し、終結後はアルハンゲリスク港で上級案内人として過ごしていたが、1937年に逮捕され(2年後に釈放される)[2]、1943年に亡くなる。
疑惑[編集]
帰還直後に、リンニックと共にロシア警察に逮捕される。罪状はセドフの遺体を分解し、犬(ホッキョクグマとも)に食べさせた容疑であり、すぐ釈放され、地元の人達は誰も二人に危害を加えることはなかった。(2010年に発表された説だが信憑性は低い。)[3]
リンク元[編集]
http://www.rus-arc.ru/ru/History/Details/1c8834d6-93d9-45fa-a943-51dc9e2b1ebe
引用[編集]
- ↑ “Пустошный и Линник”. www.gpavet.narod.ru. 2022年9月23日確認。
- ↑ “Пустошный и Линник”. www.gpavet.narod.ru. 2022年9月23日確認。
- ↑ “Как сегодня живут в легендарном лоцманском стане под Архангельском”. Российская газета (2021年8月25日). 2022年9月23日確認。