アオナシー・トロイツキー

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アオナシー・ディミトリヴィチ・トロイツキーロシア語: Аонасий Димитриевич Троицкий生年不詳 - 1917年8月2日)は、ロシア帝国の軍人。

概要[編集]

トゥーラ県 ()トゥーラ救世主顕栄大聖堂大主教の息子として生まれる(生年は不明)。

第一次世界大戦時は第60ザモスク歩兵連隊 ()中尉として従軍し、2月革命の際、謙虚温厚だった為、彼を信頼していた同僚の将校や兵士達により、7月に連隊委員会 ()の議長兼中隊長を務める[1]

正確な時期は不明だが、聖ゲオルギー勲章 ()正義と黄金の剣 ()を授与される。

1917年8月2日、ケレンスキー攻勢の際、マラムレシュ県ヴィゼウ・ド・サス ()付近の村の戦闘で戦死する。

彼の活躍は、同連隊の第8中隊の兵士によって手紙で書かれている[2]

彼に委ねられた味方の兵士が敵の集中砲火に震えた時、トロイツキーは「祖国のために!、自由のために!。」と雄叫びを上げて前進した。この行動に兵士達は、最愛の上司である彼を裏切らず、偉大な闘志を高く評価した。 — 第八中隊所属の兵士 1917年9月21日

彼の遺体は故郷のトゥーラでニコライ・カシチェフ中佐とドミトリー・ミクノ二等兵の遺体と一緒に埋葬される。

性格[編集]

第60ザモスク歩兵連隊将校と兵士連隊委員会の集合写真(下段右からから二番目の人物がアオナシー)。

家族思いで他人への思いやりがあり、心温かく、陽気で常に兵士や将校と対等で話していた為、連隊の仲間に愛されていた。

脚注[編集]

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