そよ風のように街に出よう
そよ風のように街に出よう(そよかぜのようにまちにでよう)は、障害者問題資料センターりぼん社が発行していた障害者問題総合誌。
概要[編集]
1979年、大阪市東淀川区に編集部を置き[1]、編集長の河野秀忠らの呼びかけで関西各地から約180人の編集委員が集まり創刊された[2]。当時バス会社が車椅子のままでの乗車を拒否するなど障害者の外出が困難な状況があり、タイトルにはこのような差別を乗り越えたいという思いが込められている[3]。創刊した1979年は、同年4月実施の養護学校義務化をめぐり激しい対立が起きていたが、『そよ風』はこれに反対し、「共に生き、共に学ぶ」の立場をとった[4]。
現代書館が発行している『季刊福祉労働』とともに「東の『福祉』、西の『そよ風』」と並び称された。『福祉労働』がどちらかといえば理論寄りなのに対して、『そよ風』は障害者の生の声を伝えるという方向性を取っている[5]。障害者をめぐる家族、教育、恋愛、性、出産などの問題を積極的に取り上げた[6][7]。販売は取次を通さず、直接読者に販売する方式を取り、そこから情報を得た[1]。発行部数は1991年時点で約9000部(『福祉労働』は約3500部)[5]、1993年時点で約1万部、日本最大の障害者雑誌であった[2]。
主張がある程度は実現したこと、障害者自身の主張の場がネットの普及などで増えたこと、旧来型の市民運動の衰退に伴い団体の取り扱い部数が減少したことを理由に[4]、2015年に終刊を決定した[1]。年4回の季刊で、多いときには約1万部を発行したが、2015年頃の発行頻度は年1~2回、発行部数は読者の高齢化やメディアの多様化に伴い6分の1にまで減少していた[3][6]。編集スタッフの高齢化も進んでいた[1]。終刊決定後の2016年7月に相模原市障害者福祉施設殺傷事件が起き、編集部内ではこのまま終刊していいのか議論になったが[6]、2017年7月発行の第91号で終刊した[1]。同年9月、創刊時からの編集長河野秀忠が死去した[8]。
脚注[編集]
- ↑ a b c d e 「街に出よう」次章へ…地域で生きる、終刊 琉球新報(2017年8月4日)
- ↑ a b 「福祉のいま 障害者の肉声伝える季刊誌50号(ともに生きる)/大阪」『朝日新聞』1993年12月15日付朝刊10面(大阪)
- ↑ a b 差別とたたかった雑誌 “終刊”のメッセージ NHK
- ↑ a b “『そよ風のように街に出よう』いよいよ終刊へ(PDF)”. 『アクセス』第473号、地方・小出版流通センター (2016年6月1日). 2017年10月23日確認。
- ↑ a b 「踏ん張る障害者雑誌『福祉労働』 創刊から12年、やむなく値上げ」『朝日新聞』1991年4月28日付朝刊11面(読書)
- ↑ a b c 「障害者と社会、つなぎ続けて 創刊37年の雑誌、来夏終刊 【大阪】」『朝日新聞』2016年11月21日付夕刊11面(1社会)
- ↑ 「(天声人語)そよ風のように街へ 」『朝日新聞』2017年9月14日付朝刊1面(1総合)
- ↑ 「河野秀忠さん死去」『朝日新聞』2017年9月10日付朝刊38面(2社会)