いなか、の、じけん
『いなか、の、じけん』は、夢野久作のオムニバス小説である。
概要[編集]
1927年7月号の『探偵趣味』から、1930年1月号の『猟奇』にかけて断続的に連載された。
備考には「みんな、私の郷里、北九州の某地方の出来事で、私が見聞致しましたことばかりです。五六行程の豆記事として新聞に載ったのもありますが、間の抜けたところが、却って都に住む方々の興味を惹くかも知れぬと存じまして、記憶しているだけ書いてみました。場所の事もありますので、場所と名前を抜きにいたしましたことをお許し下さい。」と書かれており、事実を元にした体を取るショート・ショートとなっている。いずれも原稿用紙数枚にも満たない。
評価[編集]
民俗学者・谷川健一は、著書『魔の系譜』(1984年)の「狂笑の論理」の章で、現代人が失った狂笑・哄笑に満ちた数少ない例外的作品として本作を挙げている。
谷川はまず、「涙」というものは自分と対象を切り離せず同一化してしまう感情から生まれるのに対し、「笑い」は相手を自分から切り離して、対象化することで生まれる感情である、と述べる。そして「太平洋戦争が自己と対象との同一性の確認を強制された涙の時代であったとすれば、戦後社会は、自己と対象の同一性の否認からはじまった」ものであるとする。太平洋戦争の惨劇への反省から、人々は「自己の個性化」――「涙」との決別を一時は学んだが、戦後民主主義という形で再び、みなが一体となる「涙」の時代が到来した。現代(出版された1980年代当時)に起こっている若者たちの造反は、そうした「涙」の時代への反抗であるが、しかしながら、対立する「相手の息の根をとめる」「するどい嘲笑や諷刺が不足している」点で、現代は「病的」であり「暗い時代」であると、谷川は嘆く。
その数少ない例外が『いなか、の、じけん』や『ココナットの実』といった夢野久作の作品群である。
夢野ほど、作品のなかに笑い声を入れた作家はないと断言してよい。それは笑い声であると同時に笑いの精神であり、その笑いは、恐怖をともなわずにはすまない笑いであって、お茶の間の笑いとはほど遠い。(略)夢野の文学の特徴は、多くの作品が作中人物または読者との共感の上に成立するのとまったく反対に、他者との断絶あるいは拒否の上に花を咲かせていることである。
収録作品[編集]
- 大きな手がかり
- 按摩の昼火事
- 夫婦の虚空蔵
- 汽車の実力試験
- スットントン
- 花嫁の舌喰い
- 感違いの感違い
- スウィートポテトー
- 空家の
傀儡踊 - 一ぷく三杯
- 蟻と蠅
- 赤い松原
- 郵便局
- 赤玉
- 古鍋
- 模範兵士
- 兄貴の骨
- X光線
- 赤い鳥
- 八幡まいり
外部リンク[編集]
- 青空文庫 - この物語を無料で読める。