あここの方
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あここの方(あここのかた、生没年不詳)は、織田信長の側室。父は内大臣である三条西実枝とされる。
生涯[編集]
Wikipediaではいい加減な説明がなされているが、彼女については興味深い記述が『御湯殿の上の日記』天正9年(1581年)3月6日条に記録されている。
「三条所のあここといふもの、のふなか(信長)にてこかれたる(焦かれたる)よしさたあり」
これは、信長が三条西氏の娘のあここという女性に、恋愛して側室に迎えたい、と述べたという記述である。信長の恋愛に関する出来事が一次史料に記録されているのは極めて珍しいとしか言いようが無く、あここはそれほど美女だったのだろうか。
なお、Wikipediaでは「実枝は1577年(天正5年)に信長の推進で大納言に昇進しているが、あここの方と関係があるのかはわかっていない」などと書かれているが、『御湯殿の上の日記』であここが信長に見初められたのは天正9年(1581年)であり、それより2年前に没している三条西実枝と特段の関係があるとは考えにくい。
天正9年(1581年)2月から3月と言えば、信長が京都御馬揃えを敢行しており、その際に正親町天皇や多くの公家、さらに女房衆などを招いていたので、その際に見物に来ていたあここと出会った可能性があると思われる[1]。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
- 岡田正人 『織田信長総合事典』 雄山閣出版、1999年。 。