あぐり (幕末)

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

あぐり弘化3年(1846年) - 文久3年8月2日1863年9月14日))は、幕末を生きた美少女。悲惨な運命をたどり、薄幸の美少女として知られることとなった。

生涯[編集]

美しい町娘[編集]

京都二条の八百屋の娘として生まれた。年頃の娘となったあぐりは、色白の可憐な容姿の少女となった。近隣の誰もが知るほどの美人だったという。

1863年、彼女は、新選組の隊士、佐々木愛次郎と運命的な出会いを果たすことになる。

あぐりの伯父は興行師をしていた。この伯父が町中でオウムを見世物としていたとき、新選組局長の芹沢鴨に絡まれた。この揉め事の仲裁をしたのが、新選組の美男剣士五人衆として知られた佐々木愛次郎である。愛次郎は、芹沢をうまくなだめ、その場を収めたため、興行師からとても感謝された。

興行師は、弟の営む八百屋に愛次郎を案内し、もてなした。そこに現れたのが、姪のあぐりである。あぐりと佐々木は親しくなり、その後、恋に落ちた。

藪の中[編集]

ところが、ある日、芹沢は愛次郎と連れ立って歩く少女の存在を目にする。あぐりの容姿を気に入った芹沢は、自身の妾としようと目論んだと言われる[1]

隊士の佐伯又三郎は、このことを密かに愛次郎に告げた。組からの脱走は重罪だが、逃げるしかない、と佐伯は愛次郎に勧める。

あぐりとしても、このまま芹沢に犯されるわけにはいかない。あぐりはやむなく、愛次郎とともに夜陰に乗じて駆け落ちを図った。だが、これは巧妙な罠だった。

逃走経路の途中に、敵が待ち伏せをしていたのだった。愛次郎は多勢に無勢で、あっさりと殺されてしまう。愛次郎を殺すことを首謀したのは、佐伯又三郎だった。

佐伯に騙されたことをあぐりは知ったが、ときすでに遅く、どうしよもなかった。近くの竹藪の中に連れ込まれたあぐりは必死で抵抗したが、佐伯に襲われた。そして、他の男たちにもその肢体を弄ばれた。

翌日、あぐりは、あられもない姿で死体となって発見された[2][3]

脚注[編集]

  1. 実際、芹沢は借金の催促に来た美人女性、お梅を手籠めにしたことがある。
  2. 舌を噛んで自害したとも言われるが、一般的に舌を噛む自殺は成功率が低い。『莠草年録』の言うように、犯された後に斬殺されたと見るべきだろう。
  3. なお、佐伯又三郎もその10日後に不審死を遂げている。