imoutoid

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Imoutoidいもうといど
別名FamicomUchujin
Otophilia
Yamato Yoshioka(本名名義)
あっぷる
生誕1991年1月15日
出身地日本
死没2009年4月 (満18歳没)
学歴非公表
ジャンルエレクトロニカ、テクノ、電子音楽、ポップ
職業作曲家、編曲家、トラックメーカー、プログラマー
活動期間2001年~2009年4月迄
公式サイトファミコン宇宙人'sWorks

imoutoid(イモウトイド、1991年1月15日 - 2009年4月)は、日本の作曲家編曲家プログラマー。別名義はファミコン宇宙人(FamicomUchujin)、Otophilia、あっぷる等。

経歴[編集]

1991年1月15日誕生。2001年(小学4~5年生)頃から「Space Jungles」というサイトを運営し、楽曲やCGムービー等の映像作品を掲載していた[1][注 1]。この頃は「Y.Y.(Yamato Yoshioka)」もしくは「あっぷる」のハンドルネームで活動していた[2]

2005年から「ファミコン宇宙人(FamicomUchujin)」名義での活動も開始。元は2ちゃんねる用のコテハンだったようで[3]、勢いで作った曲はファミコン宇宙人名義、全力で作った曲は「Y.Y.(Yamato Yoshioka)」名義といった使い分けをしていた[4]。 また同時期に制作した「Kamikaze」「Rubber」のデモテープをTOKYO FMのジョージ・ウィリアムスのラジオ番組へ応募したところ番組内で絶賛され、後にジョージのウェブサイト上で楽曲制作及び販売の依頼を受けた。そして実際に「Movement to suppress evil books」、「Illusionist」の2曲が販売された[注 2]

2007年からはotophilia(ChineseRoom)名義でSuperCollider(音響合成用プログラミング言語)関連の活動も始める。氏が遺したソースコードはSuperColliderのコミュニティサイトで閲覧可能だったが、諸事情により現在はほとんど閲覧不可能となっている[5]

その後も音楽活動を続け、ライブ出演依頼やレーベルからの楽曲制作依頼を受けるなど今後が大いに期待されていたが、メジャーデビュー直後の2009年4月末に急性心不全により死去[6]。18歳の夭折であった。

作品[編集]

アルバム[編集]

  • 「ADEPRESSIVE CANNOT GOTO THECEREMONY」(Maltine Records、2007年)

リミックス[編集]

参加作品[編集]

  • 「Fancyball」 - 『No shit No life』(Maltine Records、2006年)※FamicomUchujin名義
  • 「Hofstadter's Law」 - 『intersect fractional. vol. 3』AVSS(2008年8月16日発売)

脚注[編集]

出典
注釈
  1. 当時はブログサービスが十分に発達していなかったため、サイトページの作成にはAdobe Page Millを使用していたという。
  2. この2曲はサイトの楽曲ダウンロードチャート1位2位を独占するなど人気を博した。