B面映画

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B面映画(ビーめんえいが)は、添え物扱いの映画作品のこと。B級映画とも言う。本ページでは、主に日本映画が2本立てで封切られていた時代について、詳述する。

概要[編集]

1952年頃から1996年頃までの日本のように、大手が配給する映画は、都会の新作封切館(一番館)であっても、2本立てで封切られるのが普通であった(例外として、よほどの大作映画の場合は1本立て、短編が混ざる場合は3本立て以上となることも)。
2本のうち、客を呼べる大スターの主演作や巨匠監督の作品がシングルレコードに例えればA面であり、マスコミを通じて大きく宣伝される。広告での扱いも小さく、添え物のような作品をシングルレコードに例えてB面映画と呼んだ[注 1]。2本とも同等の宣伝がなされる両A面扱いの興行もあった。

低予算であり、興行成績に対する責任が少ないため、観客動員実績の少ない俳優を主演にしたり、若手監督・スタッフの育成等、実験的な試みをすることができたが、こうした「大作・寡作」併映方式は、1990年代半ば以降、従前と比べ1室の座席数が少なく、1館で常時複数のスクリーン上映が行われるシネマコンプレックス製作委員会方式での映画製作が普及すると廃れていった。
他方、映画ファンの篤志で、低予算映画を積極的に上映した館もあったが、経営不振に悩まされている[注 2]

B面映画から出た人気作品等[編集]

若い頃の高倉健勝新太郎もなかなか人気が出なかったが、所属会社の幹部に将来性を見込まれて長くB面映画の主演俳優を務めた。

東映の『新諸国物語』シリーズは子供向けの短編のB面映画であったが、大御所が主演するA面映画を食うほどの大人気となり、中村錦之助は大スターになった。同様に『網走番外地』もB面映画であったが、1960年代後半を代表するNO.1人気シリーズとなった。松竹の看板作品になった『釣りバカ日誌』シリーズも、元は『男はつらいよ』シリーズのB面扱いであった。

アメリカの元大統領のドナルド・レーガンも元はB級映画の俳優だった。

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  1. ちなみに1960年代までは、1枚のシングルレコードのA面とB面で違う歌手の作品が録音されていることも珍しくなかった。
  2. 名古屋シネマテークのように閉館に追い込まれた低予算映画上映館もある。