魚籠

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魚籠(びく)には用途と形状によって二種ある。

  • 釣った魚を入れるための、腰につける竹などで編んだ籠。
  • 潮干狩で採った貝を入れるための網袋。水が垂れるのを防ぐため、底が防水布でカバーされている場合もある。

前者は釣り人にとってはお馴染みの道具であり、鮎釣りや渓流釣りなどで用いられる。後者は潮干狩沙魚釣りで一般的である。本稿では後者を中心に解説する。

貝塚というものがあることから分かるが、「素手で採れる蛋白源」として貝類は有史以前から重要な食物であった。

いわゆる遊牧民族ではなく、「半漁半農」文化においては農耕家畜(多くは牛)と植物の繊維の加工(紡績など)は重要であり[1]、その技術は漁撈で使用する「網」の製造に活用された。「網袋」は日常的に使われていたと考えられる。その「得たものを持ってかえるための道具」として「網袋」としての魚籠が活用されたというのは想像に難くない。旧ソビエト連邦(現在のロシア共和国と周辺諸国)では統制経済であったため、「アボーシカ」[2]という網袋が一般に普及していたそうで、行列があったらとりあえず並んで、それから「何の配給ですか?」と訊く、というがあった。

日本では風呂敷があり、西瓜や柑橘類などは、網袋が普通に使われていた。近年のコンビニ袋の有料化とエコバッグの利用を考えると、アボーシカは見直されてもよいと思う。

脚注[編集]

  1. 「七夕」も「たなばた」(織機)に由来し、「牽牛」(農耕用の牛を使って耕作・開墾などをする)と「織女」に関するものである
  2. もしかしたら袋。「モスクワ袋」と日本人は云っていたらしい

関連項目[編集]