馬内侍

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馬内侍(うまのないし、生没年不詳)は、平安時代の女流歌人中古三十六歌仙の一人。また、花山天皇の即位式において強姦されたことでも知られている。

生涯[編集]

父は文徳源氏の源時明。時明は皇太后宮大進などを歴任した官人であり、和歌にも優れ、歌集に『時明集』が残っている。娘の馬内侍もまた中古三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人に数えられるほど歌の才能に恵まれた。そして、彼女は多くの貴公子に言い寄られるほどの美貌を誇っていた。才色兼備の馬内侍は、斎宮であった徽子女王円融天皇中宮藤原媓子などに仕える女官となった。

984年、花山天皇の即位式が行われることとなった。花山天皇は高御座(玉座)に座った。高御座には帳によって外部との区切りが設けられた。馬内侍は女官の一人として帳の上げ下げを担当することとなった。ところが、花山天皇は美貌の馬内侍を一目見て欲情したのか、彼女を高御座の中に無理やり引きずり込んでしまう。天皇は狭い空間のなかに馬内侍を押し倒すと、たちまち彼女に男性器を挿入してしまった[1]。その後、天皇の玉佩と冠の鈴の音が鳴るほど激しく馬内侍は犯された。天皇の側近である藤原惟成は行為の音に驚き、高御座に駆け寄ったが、天皇は彼を追い払い、馬内侍を強姦し続けた[2]

その後、馬内侍は一条天皇皇后藤原定子などに仕えたことが知られている。

脚注[編集]

  1. 古事談「花山院御即位の日、馬内侍、褰帳の命婦と為りて進み参る間、天皇高御座の内に引き入れしめ給ひて、忽ち以て配偶す、云々。」
  2. 江談抄「また云はく、「花山院、御即位の日に、大極殿の高座の上において、いまだ剋限をふれざる先に、馬内侍を犯さしめ給ふ間、惟成の弁は玉佩ならびに御冠の鈴の音に驚き、「鈴の奏」と称ひて、叙位の申文を持参す。天皇御手をもつて帰さしめ給ふ間、意に任せて叙位を行へり」と云々。」